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栃木県人会45周年を祝う=新会館に移転後、事業進展=移民〝小県〟だが人材多彩

11月14日(金)

 [既報関連]九日、創立四十五周年記念式典が行なわれた在伯栃木県人会。創立時はリベルダーデ区エストゥダンテ街に本拠地を置いた同県人会は一九八三年、現在のヴィラ・マリアナ区カピタン・カヴァウカンチ街に移り、会員数も二百八十人へと成長した。九代目、坂本アウグスト進会長のもと、県人らはさらなる躍進を目指している。
 栃木県人のブラジル移住は一七年、第一回契約移民に始まった。コロニアを代表する画家、故・半田知雄氏もその一人。二四年には高野桂秋氏がチエテ移住地で活躍、また、二代目会長、故・岡田英成氏はモジ市コクエーラ移住地の創立者、バウルー・スポーツクラブ元会長の故・中沢信二氏はサッカーの王様、ペレーとの交流があったと知られている。
 ほかにも、オリンピック・メダリストの柔道家、石井千秋氏や「イタリアぶどう」生みの親、臼井晋氏。戦前三百十六人、戦後二百四十人、コチア開発青年四十五人、トメアスー移住地七十三人、その他、約二百人と、決して移住者の数は多くないが、県人の活躍ぶりは目覚ましいものがある。
 九日の式典には福田昭夫県知事代理として橋本良男県生活環境部長、渡辺渡県議会議員ら慶祝団九人を含め、日伯両国関係者約二百五十人が出席。はじめに、先没者へ一分間の黙祷を捧げ、日伯両国国歌が斉唱された。
 続いて、坂本会長の式辞があり、「立派な会館を持ち、県人会の運営ができるのは昔から続いている母県からの援助、会員と役員の協力があったからこそ」と感謝の意を表した。また、「母県との交流を深めるためにも、留学生・技術研修生制度の存続を心からお願いしたい」と述べた。栃木県の県費留学生・技術研修生は六三年開始、これまでに百五十人以上が母県で学び、今年は南米から留学生一人、技術研修生二年が渡県している。また、短期高校生研修制度もあり、青年部活動に力を入れている。
 日本側から福田県知事を代理して橋本県環境部長、県議会代表の渡辺県議、吉田粮造県海外移住家族会長、ブラジル側からは、石田仁宏総領事を代理して佐藤宗一首席領事、中沢宏一在伯都道府県人会連合会会長らがあいさつ。最後に会員を代表して青柳マルセーロ健二県人会青年部長が祝辞を述べた。
 引き続き、栃木県、(財)県国際交流協会、県海外移住家族会から県人会に祝い金と記念品が贈呈された。県人会からは文協(上原幸啓会長)、県人会連合会、援協(和井武一会長)にそれぞれ三万円を寄付、また、県出身の功労者として、事業家の村田哲氏、創立当時から県人会を盛り上げた毛塚豊次氏、果樹園経営で前会長の坂田正雄氏、「イタリアぶどう」生みの親の臼井晋氏のほか、八十歳以上の高齢者三十一人に表彰状が手渡された。
 式典はその後、竹本悦子さんの日本舞踊「白鷺の舞」、県人会婦人部有志の「新日光和楽踊り」など舞台発表があり、午後からは、パウ・ブラジルを会館前庭に植樹するなど、未来の県人会に向けて新たな一歩を踏み出した。