ホーム | 日系社会ニュース | フロリアノーポリス=日本人到来200周年=「笠戸丸に並ぶ出来事」=『環海異聞』ポ語版発行=ニッポ・カタリネンセ協会=日系希薄地でアピール

フロリアノーポリス=日本人到来200周年=「笠戸丸に並ぶ出来事」=『環海異聞』ポ語版発行=ニッポ・カタリネンセ協会=日系希薄地でアピール

11月11日(火)

 日本移民百周年に関する話題が巷間に登る昨今だが、この年末で、日本人が初めてブラジルの地を踏んで二百年が経ったことはあまり語られてこなかった。そんな中、ニッポ・カタリネンセ協会(新里エリージオ善和会長)が、日本人ブラジル到来二百周年と協会創立二十周年を記念した日本文化週間を、サンタカタリーナ州フロリアノーポリス市立文化センターで七日午後六時半から、初めて開催した。三日間行われた日本文化週間には延べ三千人以上が来場し、今まで日本文化に馴染みのなかった当地市民に日系人の存在をアピールする格好の機会となった。

 陸軍音楽隊が伯日の国歌を演奏した後、ポルト・アレグレ総領事館の長島浩平総領事は「日伯の交流の原点は、二百年前の日本人初上陸にある。サンタカタリーナ州の歴史の一部として、その事実が刻まれることは大いに意義深い」と力強く初開催の意義を訴えた。
 影ながら今回のイベント開催に尽力した小原彰・陸軍予備少将は「二百年前に日本人がこの地に上陸したことは、一八九五年の日伯修好通商航海条約調印、一九〇八年の笠戸丸、一九五三年の戦後移住再開に並ぶ、重要な出来事だ」と強調し、約二百人の来賓や関係者から大きな拍手を浴びた。
 同州運営管理局のマルコス・ビエイラ長官、マウロ・パッソス連邦下議、南伯方面陸軍司令官のレナート・チバウ・ダ・コスタ氏らも多数の来賓が姿を見せた。
 続いて、同市立文化センター「セントロ・インテグラーダ・デ・クルトゥーラ」建物内にある日本庭園で、日本人到来二百周年記念碑の除幕式が行われた。同州サンジョアキン在住の大槻清貴エウソンさんが制作したもので、高さ約一メートル半のSC州をかたどった彫刻。碑の由来が日ポ両語で刻まれている。
 さらに、サンパウロ市から招待された生田流正派ブラジル琴の会の北原民江さん、登山流尺八の齋藤昌利さんが「春の海」を披露。ポルト・アレグレ総領事館は二百年前の出来事が書かれた古文書『環海異聞』中の関連部分をポ語訳。今回そのパンフレットが配られた。
 会場には、同協会会員が持ち寄った着物や民芸品約百五十点を展示。被爆者と子孫の会(小川和巳会長)が長崎の平和の鐘を公開し、写真パネルで平和の重要性を訴えた。その他、若者たちによるマンガ・アニメや日本流行歌紹介コーナーも設けられ、盆栽、胡桃人形、書道も会員によって紹介、ガラス・エッチングや日本食品が展示・販売された。
 八日午後からは同劇場で、合気道、剣道(ラーモス移住地)、クリチーバ文協の竜千多会やあかべこ会による舞踊や和太鼓などが披露され、初めて日本文化に触れた当地市民らは総立ちになって万雷の拍手を送った。
 主催者発表によれば三日間で述べ三千人が来場した。新里会長は「これを機に、日本文化週間を毎年開催していきたい」と意欲をのぞかせた。なお共催は南伯日本留学生協会(Harry Raul Boening会長)。
■一八〇三年に到来■
 一七九三年に江戸に向かう途中で難破した陸奥国石巻の若宮丸の乗組員十六人は、七カ月漂流の後、ロシア領オンデレッケ島に漂着。大陸のイルクーツクで八年を過ごした。一八〇三年にペテルブルグに移った津太夫、儀兵衛、左平、太十郎の四人は、折からロシアが準備中だった世界一周に派遣される軍艦ナデシュダ号とネヴァ号に乗船が認められた。
 大西洋で嵐にあい、破損した船団は十二月二十日にデステーロ(現フロリアノーポリス)に入港し、約七十日間滞在。図らずしも初めて世界一周した日本人になった四人は帰国後、その間の記録を口述し、仙台藩主の命により、蘭学者の大槻玄沢が『環海異聞』にまとめた。