10月22日(水)
ブラジル戦後移住五十周年記念祭実行委員会(中沢宏一委員長)が推し進めていたサンパウロ大学(USP)日本庭園の修復工事が完了、二十日、引き渡し式が同庭園内で行なわれた。式には日伯両国の関係者約百人が出席、三十数年ぶりに蘇った日本庭園に魅了されていた。
同庭園は一九六四年着工、日系花卉園芸同好会有志により造園施工されたもので、六七年四月、当時の皇太子殿下夫妻が視察されたことでも有名。しかし、剪定などを行なう管理者がおらず、雑木林と化していた。委員会では、先人の意志を受け継いで日本庭園を蘇らせることを記念行事の大きな課題に掲げ、八月末から、二メートルあったツツジを一メートル程度に剪定、根腐れしていた桜の土を入れ替えるなど手入れを開始した。
二十日の引き渡し式には石田仁宏サンパウロ総領事、小松雹玄JICAサンパウロ支所長、吉井弘国際交流基金所長、上原幸啓文協会長、和井武一援協会長、中沢宏一委員長、USPからはジョゼー・ジェラウドマスカット大学市長、ジョアン・S・モルガンテ生物科学部長のほか、三十六年前、造園に携わったベルタ・ランジェ・デ・モレッテス植物学部教授(八六)も出席した。
式でははじめに、上妻博彦宮司による神道儀式の後、日本郷土民謡協会の松田茂、佐々木光躬の両氏が尺八を演奏した。続いて、中沢委員長が、「戦後五十周年のテーマは『ありがとう、ブラジル』」とし、ブラジル民への感謝の意を述べた。祝辞では上原文協会長が、「USPが今後、この庭園をしっかり管理してくれることを願う」とした。
祝辞の後、八月末から休む暇なく庭園の修復活動を行なった飯島秀雄さん(六三)に委員会から感謝状が手渡された。飯島さんは、「立派な石があるのにツツジに隠れていて見えなかった。石の一つ一つに意味がある。最初に作った人の意図を尊重して修復したが、どうかな?」などと話していた。なお、庭園の石は、当時の造園者の注文を聞いて、ベルタ教授がイタペセリカ・ダ・セーラから運び出したものという。続いて、アチバイアのカルパランジャからやって来た錦鯉十匹が日伯関係者代表の手で園内の小池に放流され、桜とイペー各七本が庭園奥の斜面に植樹された。
委員会はこれまでに、USP敷地内に約六百本の桜を植樹、この先も合計二千本の桜を提供する予定。ツツジは若芽が吹き出し、桜がちらほらと開花したUSP日本庭園で出席者の一人は、「USPの学生でさえ、日本庭園の存在を知らない。もっと、多くの人に訪れてもらいたい」と語っていた。