10月9日(木)
【アゴーラ紙五日】リオ・グランデ・ド・スル州ノーボ・ハンブルゴ市の地方新聞に一九九一年、英字の求人広告で中国への靴職人募集があった。同市には以来、中国への出稼ぎが相次いだ。ヴィクトル・ラウシュさん(三六)も応募したところ、採用通知が来た。ちょうど八カ月も失業中であったので、採用に応じた。
ラウシュさんは靴製造の技術者として、中国広東省広州市のハイ・フォン社へ赴任して四週間になる。在中国ブラジル大使館の情報のよれば一九九一年以来、リオ・グランデ・ド・スル州のブラジル人靴技術者八百人が、ブラジルとはけた違いに大きな工場で靴製造指導者として赴任しているという。
給料は七千ドル。ただし一日の労働時間は、ブラジルよりはるかに長い。全員食事通訳つき社宅に住み、中国式奴隷的使役からは隔離されている。年一回十五日間、ブラジルへの往復切符を支給される。
八〇年代までは、ブラジル製靴が中国市場を席巻していた。九〇年代から逆にブラジル市場が中国製靴に席巻されて、リオ・グランデ・スル州の靴製造業は青息吐息であった。広州には、ブラジル人向けシマロンもあるシュラスカリアが三軒もある。
ノーボ・ハンブルゴ市と広州に人材派遣会社があり、ブラジル人スタッフが両国で活躍している。皮革工場でもブラジル人を募集しているので近日、後続部隊が出発する。先輩の中には家族を呼び寄せた人もいる。中国人と結婚して、ブラジル系中国人もいる。