ワンマン宰相・吉田茂氏の親友に白洲次郎氏という実業人がいた。戦後の政界でも活躍し初代の貿易庁長官を務めたりサンフランシスコ講和会議の際には全権委員顧問として日本の独立のために働いた人である。ご夫人が正子さんで「能」に詳しい随筆家だが、あるとき次郎氏に遺言を認めることを薦めたそうだ▼葬式無用。墓石無用―という簡潔で有名な白洲遺言はここから生まれた。実際に―墓がないのかどうかはしらないけれども、日本でも一般の庶民が墓石を建てるようになったのは歴史的に見ればそんなに古くはない。江戸の中期辺りから盛んになるので精々二百五十年から三百年にしかならないのある。先祖を崇拝するという考え方は古いにしても、必ずしも墓が必要なわけでもない▼八日付け本紙に「広がる樹木葬」があったけれも「墓石はいらない」「私は自然にかえりたい」と願う人々が増えているのに違いない。岩手県の一関市にある臨済宗の寺院が行っているのだが、エゾアジサイやヤマツヅジなどの木々が生い茂るところに半径一メートルほどの区画を造り、そこで眠りにつく。骨壷も収納室も禁止だそうだから、これは簡単すぎる位に簡単だ▼共同墓地は少し形式が異なるが、考え方としては同じと見たい。実はコロニアにも、同じような意見をもつ人がいて実現したいとしているのだが、これが仲々に難しい。最大のものは「墓石」への拘りと江戸中期からの伝統の重さだろうけれども、あの重く大きな墓がなくとも人は静かに眠れると思うのだが―。 (遯)
03/10/09