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ブラジルで人生やり直す=「子供の日」を新設

10月2日(木)

 【ヴェンセール誌】エベル・ゴルドベルグ氏は、ナチス・ドイツを逃れて英国の映画会社で営業部長として世界を飛び回っていた。しかし、テレビの出現により映画が斜陽産業であることは否めなかった。
 新天地を求めたのが、ブラジルであった。玩具のE社社長が病気で代理を探しているのを、友人から聞き面接した。社長は体力の衰えが気力の衰えで、業績は悪化の一途にあった。
 社長はゴルドベルグ氏に「玩具の経験が全くないが、大丈夫か」と聞いた。同氏はすかさず「販売促進なら大丈夫です」といったので「六カ月の試用だ。駄目なら、それまでだ」と仮採用が決まった。
五カ月が過ぎたが、目だった成績は上がらず焦った。試用期間が終わる一週間前、アニャンガバウ広場を通行止めして十二月二十四日、イベントを行う許可を市役所に求めた。クリスマス・イヴにサンタクロースがヘリでやって来て、子供らに玩具を配るというもの。イベントは大成功だった。
 だが社長は「まあ悪くないが、首がつながったと思うのは早い」といった。そのころ目に止まったのが乳児用品J社の「赤ちゃんの日」キャンペーンだ。
 社長に〃子供の日〃キャンペーンを提案したが、経費高になると渋った。「しかし、クリスマス以外の小クリスマスを企画すれば株主も喜ぶ」と進言した。社長は「それでは売上の二%以内でやれ」といって許可をした。
 同氏はデパートを訪ね、新企画を説明した。どこでも企画の内容を理解しないし、効果も期待しなかった。第一回目の「子供の日」はほとんど注目されなかった。よく考えてみると、宣伝不足だ。しまり屋の社長は、宣伝や広告を嫌った。
 次に考えたのが、東北伯地方の貧しい子供に玩具を無料配布して、マスコミに宣伝してもらうことだ。一社だけでは無理だから、パートナーを探した。州知事らの協賛は得た。出版のA社がマンガ本の提供を受け入れた。TVと雑誌で〃子供の日〃は無料宣伝され、企画は大成功だった。
 このころ同氏は、業界でアイデアマンとして有名になった。米国からフラフープを輸入して、爆発的に売れた。サッカーのW杯では、有名選手のサイン入りボールをFIFA会長の許可を得て販売した。運よくブラジルは優勝して、ボールは生産が間に合わないほど売れた。十月十二日の〃子供の日〃も、法令で正式に認められた。