9月11日(木)
【スセッソ誌】共同経営は、創業や事業拡張のために一度は考えるものだ。相手の選択次第では、事業に活力を吹き込み大きく成長させる。人選を間違えると、これまでの努力が水泡に帰し地獄へ引きずり込まれることもある。
アレシャンドレ・マタル氏は父が亡くなった年に、失業と離婚に出合った。気分転換のためにサンパウロ市を去り、ミナス州のアイルオカ市へ移った。同市郊外の林の中に小さな家を購入し新生活を考えていたとき、隣人がガラスでプリズムを作っているのに出合った。
プリズムに当たった光が美しく屈折するのを見て、共同経営を提案した。条件は半々、これが第一の失敗であった。五〇%では命令する権利もないし、服従する義務もないのだ。
生産は順調に伸びた。共同経営者は一年後、収入が増えたので中心街へ移転し、清算日だけ当たり前のような顔をして配当金を受け取りに来るようになった。配当金は当時、おのおの二万レアルで決して悪くはなかった。しかし、共同経営者は経営がまずいので配当金が少ないと苦情をいった。
マタル氏は一人で生産と販売努力をしていることを説明したが、共同経営者は聞く耳を持たない。結局共同経営を解消すると、共同経営者は見覚えのない古い証文を持ち出して請求した。在庫を全部渡すことで、両者は合意をした。
マタル氏は翌日、顧客リストや経理データーを保管したCDが盗まれているのに気づいた。さらに顧客は次々、注文を取り消し元共同経営者へ発注した。同氏はアイルオカ市を去りポウゾ・アレグレ市へ移転、別のプリズム工場を創業。
サンパウロ市時代の旧友が三万レアル投入で、共同経営を提案した。気が進まなかったが、希望条件を全て容認することで契約書を交わした。しかし、共同経営者の持ち株四〇%に対する配当条件が欠落していた。マタル氏は労力、ノウハウ、機器を四万五千レアルで提供し、現金出資はなし。ただし、株の六〇%を所有することが明記されてなかった。
二〇〇二年、不景気となり売り上げが激減。旧友はマタル氏が、資本金四万五千レアルを未払いだと裁判所へ提訴した。同氏は敗訴となり、旧友は七万五千レアル分の在庫を持ち去った。後日、旧友はこの種詐欺の常習犯だと知った。
同氏は三度目の勝負でサンパウロ市に、ギフト・フェア社を立ち上げた。プリズム関連のオリジナル商品で国内屈指の有名メーカーとなった。共同経営は悪夢だという。