9月6日(土)
パラグアイ(以下パ国)は、日本より早く、南米でも早い時期に蒸気機関車を導入した。日本では、リニアモーターカーが実用に向けて実験される時代に、パ国では薪をくべる汽車が現役で走る。温和なグァラニー族が中心になる、なんともゆったりとした国だ。
「南米のユートピア」とも呼ばれるパ国。夫妻で参加の早川正男、けい子夫妻(バウルー福寿会)は「せわしくなくて、ゆったりした雰囲気が良かった」と声を揃える。
現実は厳しい―さしたる産業を持たない、パ国は南米最貧国(一人当たりの国民総生産九百四十USドル)の不名誉な「現実」を持つ。「パ国は政治、経済の状況はほんとに悪い。両方が悪いのは問題だが、何が原因か国民がつかみきれていない事がもっと悪い」。式典で出会った、パ国電話会社COPACOで働く鈴木等さん(日系二世)は苦々しく現況を指摘する。
二十四日、パラグアイ日系老人クラブ連合会創立二十周年記念式典に参加(既報)。その翌日、アスンシオン市内(正式にはヌエストラ・セニョーラ・アスンシオン市)を観光した。
満開を迎えたラパチョ(ブラジルではイペー)が強い桃色の花を咲かせていた市内。英雄の墓や大統領官邸などの美しい建物や、歴史を感じさせるコロニア調の建築様式に歓声を上げた。
市内でも、パ国の厳しい現状を垣間見ることが出来る。南米では良く見かける貧民窟は、パ国中心地、憲法記念広場にあるピンク色の旧国会議事堂すぐ裏手に広がる。ここには農村から流入してきた、教育水準の低い人々が集住する。付近を見回すと、パ国ナンバーの車とバスは、へこみと錆が目立つ。「ブラジルも昔はこうだった」と懐かしそうに女性がもらしていた。
バスを下りると、インディオの姿の売り子たちが物売りに来る。手には、手作りのアクセサリーと手編みと思われる虹色のかばん。日焼けした顔に浮かべた満面の笑みと対象的に、足元をみるとビーチサンダル。底冷えする中、出会ったインディオたちの足元は、例外なくビーチサンダルだった。
市内にある和食レストラン「レストラン広島」で昼食をとり一行は、ブラジルへ向けて出発した。
帰路は、国境を何事も無く通過し、ブラジルへたどり着いた。
「イグアスーの滝での歩きっぷり。三十五時間近くのバスでの移動。日本の高齢者では、中々こうは行かない」。安達正子さん(JICAシニアボランティア)は、驚きを隠せない様子だった。帰りの車内「期待を上回る三十四人の参加だった。このような、つながりを大事にしてクラブを盛り上げていこう」。重岡康人会長は旅の最後をそう締めくくった。
二十六日午後一時、三十四人は、無事にサンパウロ市老ク連前に到着し解散した。荷役として参加した記者の出番はなかった。(おわり)