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日本文化を踊ろう!=―ブラジルに生きる郷土芸能―=第8回=花笠踊り山形県人会=婦人ら手製の花笠踊り=三世まで和気あいあい

8月26日(火)

 秋の山寺 紅葉も見頃 私しゃ年頃 紅もさす――。ブラジル山形県人会(リベルダーデ区リベルダーデ通り四八六)では毎週水曜日午後二時から同四時まで、同会館で花笠踊りなどの練習に励んでいる。毎回、三十人以上が集まり、一世から三世までの婦人たちが和気あいあいと踊りを楽しんでいる。

 工事現場で誕生

 花笠踊りで使われる花笠音頭は、大正八年頃、山形県尾花沢市郊外のかんがい用溜め池工事で生まれた。土突き作業の調子を合わせるための作業歌に、船方節や八木節をミックスしたものという。現在のような賑やかな民謡になったのは昭和の初期らしい。
 花笠踊りは地域によって踊り方が変わり、笠をかぶっての手踊りや笠を手に持って踊るものなど十種類余り。戦後、同県花笠協議会(村山義平会長)が創立され、一九六三年、数々の踊りを一本化、誰でも手軽に踊れる日本舞踊的な正調花笠踊りとなった。

 ブラジル花笠会

 ブラジルでは七〇年六月十八日、サンパウロ市パカエンブー競技場であった日本移民七十周年記念式典で現在の天皇陛下ご夫妻が来伯された際、約千二百人の踊り子が集結して花笠踊りを披露。翌七一年、チャリティーショー「あゆみの箱」出演のため、ブラジルにやって来た山形出身の役者、故・伴淳三郎さんが、ブラジル内での花笠踊りの普及、発展を力説した。
 七三年、山形県人の故・堀江八郎さんを会長にブラジル花笠会が発足、七五年には協議会本部から指導者が派遣された。九八年には七支部六百人を数える大所帯に成長。五代目会長を務め、全盛を極めた同会を知る国井猛さん(山形市出身、三四年渡伯)は、「各地に愛好者がいる。練習に来るのは少ないが、集めようと思えば何百人も集まるだろう」と話す。

 踊り手、大募集!

 山形県人会で毎週行なわれる花笠踊りの練習には、常時三十人が集まる。指導は堀江恒子さん(七八)と平田福子さん(七五)。北海道生まれ、七歳で渡伯した平田さんは、「山形出身かどうかは関係なく、誰でも、踊りたい人が集まってくるのよ」。平均年齢は、「ちょっと若めにいって、六十五歳にしましょうか」とのこと。
 三十年間、踊りを指導している平田さんに花笠踊りの魅力を聞くと、「笠よね。花笠はチャラチャラしていて楽しいですよ」とにっこり。笠は自分たちで段ボールを切り貼りして作ったという。平田さんは、「踊りたい人は、誰でも大いに来てください。お待ちしていますよ」と踊り手を大募集している。
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 永年、花笠踊りの普及に貢献した堀江恒子さんが二十日、病気のため亡くなられた。心から、お悔み申し上げます。
(門脇さおり記者)

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