8月9日(土)
[既報関連]一分間に二百七十八個の握り寿司がサンパウロ市民の胃袋に――。同市のホテル・レストラン・バーなどの企業組合がこのほど、同市内には日本料理店が六百店あり、毎月、千二百万個の握り寿司が作られていると発表した。七月二十三日付、ヴェージャ誌が芸能人〝ご用達〟の日本料理店や近年の日本食の傾向などを紹介している。
フォーリャ・デ・サンパウロ紙の批評家ジョジマール・メーロ氏は「毎日寿司を食べている人を、僕は知っている。それは東京でさえ起き得ないことだ」と語る。
同誌によると、歌手のサンディーは「コスシ」(イタイン・ビビー)、健康食愛好家の俳優、ロドリーゴ・ファーロは「ヤバニ」(ヴィラ・オリンピア)、歌手イヴェッテ・サンガーロは「ナコンビ」(ペケチタ街)がお気に入り。
芸能人に限らず、ますます評価を高める日本食だが、かつて、東洋人街リベルダーデに多かった店は、このところ、近代的で魅力的、上品な環境に触手を伸ばしている。主要ショッピングセンターへの進出はもとより、スーパーマーケットの陳列棚にも日本食材が並び、さらに、ジャルジン・グリルなどシュラスコ専門店まで、寿司や刺身を置いている。
日本食進出が激しいのはジャルジンス、イタイン・ビビー、ヴィラ・オリンピアの各区に取り囲まれた地域。ランチタイムになると、同地域の日本料理店は会社員を相手に食べ放題やビュッフェ形式で、一人当たり十五から三十レアルの料理を提供、夜は社交場と化し、着飾った若者たちが集っている。
日本食が急成長を遂げた後、多くの日本料理店が伝統を無視し、型破りな料理を作り始めている。フランス料理シェフのエリック・ジャッキン氏の要請で、「カナシロ」はフォアグラ寿司を発明した。八〇年代にニューヨークなどの日本料理店でクリームチーズやマヨネーズ、タバスコなどもちいる寿司が作られてきた。
しかし、前述の批評家メーロ氏は「サンパウロの寿司はアメリカの影響とは関係なく、その偉大なドラマを紡ぎだしてきた」と考える。ところが「木下」のツヨシ・ムラカミさんは「私は伝統派だが、客の方からマヨネーズを乗せて欲しいと頼んでくる。どうしたらいいのか?」。
「寿司の具にドリトスを使う人もいる」と、ピニェイロスに日本料理店を構えるジュン・サカモト氏。同氏の店では月に千三百人分の予約しか受付けず、ディナー一人前百三十レアルを下らないそう。
また、お子様ランチに目を付ける経営者もおり、「コトビヤ」(モエマ)ではミッキーマウスの寿司セットが十三・八〇レアルという。
ちなみに近年、寿司バーで働く日本人、日系ブラジル人が減少しており、店主らは北東地方出身の従業員に日本料理の特訓をさせている。流行の日本料理店で働く寿司職人の月給は約四千レアルとも。
ヴェージャ誌は「ピザの都サンパウロは〃箸の帝国〃にその座を譲った」と揶揄した。