8月2日(土)
[バウルー]晴天と、この時期には珍しい暖かい日に恵まれて、当地のパウリスタ神社の創建三十周年記念大祭が、七月二十日行われ、大勢の参拝客で賑わった。
午前九時から、神前で佐藤宮司によって祝詞があげられた。田中大祭委員長のあいさつ、来賓の祝辞があった。参拝を終えた人たちはお神酒の接待を受けた。続いて、恒例の車お祓いの儀が同宮司によって、神社前に並んだ二百台を越す車一台一台ごとに行われた。非日系人も、この日、お払いを受けるため、神社を訪れる。
厳戸神社からの神輿をかついで練り歩くのも参拝者の楽しみ。昼食は早朝から氏子によって用意された。食堂を設けた広い会館は入り切れないほど、いっぱいだった。
昼食後、演芸会。バウルー日本語学校生徒たちによる和太鼓の演奏は、まだ練習を始めてから日も浅かったが、見事に揃ったバチさばきを見せて、拍手がわいた。特別出演のサンパウロの福岡県人会のメンバーは手慣れた踊りや歌謡曲で観衆を魅了した。演芸会半ばにくじ引きが行われた。大祭は、午後四時終了した。
《パウリスタ神社建立の由来》旧蚕祖神社である。七三年当時、バウルー(バロコン、富士植民地)と隣接のドアルチーナ、ガリアなどでは、養蚕が最盛期を迎えていた。戦後、日本から多数の養蚕移民を迎えたのもこの地だった。ブラ拓製糸やその他の製糸業者も多く進出していた時期だ。アルジャのブラジル大神宮厳戸神社の森下教祖から神意を受け、守護神を迎えることになり、別府藤吉氏が所有地の一部を寄贈、代表者五人と宮大工の別府政吉氏の献身的な尽力により、蚕祖神社が建立されたのであった。時代が変わり、ブラジルの社会情勢も変動、現在では養蚕農家も激減した。社名もパウリスタ神社と改め、パウリスタ一円の守護神として、これをバウルー市在住の有志が後援し、毎月七月の吉日に鎮座祭りを行ってきている。大祭日は近隣都市から、また、かつてこの地に生まれ育った人々が、郷愁を求めて集う日でもある。(酒井威夫さん通信)