7月23日(水)
【エスタード・デ・サンパウロ紙二十二日】セウソ・アモリン外相は二十一日、ブラジルの外務省慣例をくつがえし、外交官を大統領府の思想的政策や政治的かけ引きに煩わされず国会議員と同等扱いの国家公務員となし、政府高官から外すように要求した。リオ・ブランコ外交官養成所への入所以来、外交官としての素養を磨き栄転を繰り返しながら定年を迎える外交官制度の設定が必要だと、外相は訴えた。
外務省南米局のルイス・M・ソアレス事務局長と補佐らの就任式に臨んだアモリン外相は、ルーラ大統領の支援のもとに単なる外交辞令ではなく現実的かつ具体的な改革として、外交官は国の顔としての地位向上を提言した。
政権の交代ごとに外交官も交代する制度がブラジル外交政策と優秀な外交官の育成のために不利であると、外相は述べた。外交官は一般から優秀な人材を公募し、国家の発展に尽くす英才を育て、政党の戦略や思想的流派を超越するのが本旨と語った。
この考え方は、全ての外交官にとって長年の宿願でもあった。外交官養成所に入所すると同時に、栄誉ある外交官として一生を送ることは、外交官の夢であった。南米局事務局の開設は、その第一歩とされる。
同事務局はメルコスルの強化と南米の要となり、政治折衝や通商折衝をリードして南米共同体の骨組みを構築する。新政権の改革路線に沿うて外交方針の方向付けと具体化を実施するため、抜擢された外交官のキャリアに期待するとした。
外相が期待するのは、外交慣例に従って外交関係を丸く収めるのではなく、情熱をもって新しいブラジルを売り込むこと。政治色も政党色もイタマラチーでは追及しない。各外交官の器量は信頼に値するものであり、交渉相手の政治力ある人物の選別や判断は任せると、外相は言明した。
外交政策とは長期的なもので、外交官は人間性尊重の立場で考えれば、政権の交代で優先政策を変更されても方針の妨げにならない。要は外交政策に注ぐ情熱の度合いだという。これまでイタマラチーには天下り人事が先行して、多数の優秀な人材が起用されることなく葬られていたと述べた。
外相は自己の経験から照らし一九六五年、軍政時代にリオ・ブランコ養成所に入所、三十八歳で卒業して最も地味な部署に配置された。全くやる気を殺がれる毎日であったという。
フィゲイレド大統領の一九七九年、映画会社へ配属、外国への出向はなかった。
不遇の外交官として作曲家のヴィニシウス・モラエス氏がいる。軍政時代、ついに外交官として日の目を見る事なく定年を迎えた。外交官新人にとって長い下積み時代は、外交官としての晴れ舞台へ上がる日のための準備期間であった。