7月22日(火)
【エスタード・デ・サンパウロ紙】ジオーゴ(三二)は二十五年間続き、百万人の死者を出したアンゴラ内戦に参加した。四年間戦っていた間に尻を撃たれた。治療が済むと、アンゴラ軍に帰還せず、ブラジルに逃亡した。戦争からは脱出した。だが別の戦争に巻き込まれた。ジオーゴは七年前からリオ市ヴィラ・ド・ジョアン地区に住んでいる。マレ複合地区の最も暴力事件が多いファベーラの一つに。
ブラジルには戦争から逃げてきた人々三千人が生活している。そのうち二千九十六人がリオ州に住む。アンゴラ人は最も多く、千六百二十一人だ。戦争亡命者は、偽造書類を持ってすでにマレで生活している多くの同胞の間に紛れ込んだ。あるNGO(非政府組織)の調査によると、二千五百人のアンゴラ人がファベーラにいるという。
「ここには人種差別があり、麻薬密売がある。向こうの生活の方が良かった」とジオーゴは話す。それでも彼はブラジルを離れたくない。「戦争の中を生きることがどんなものか肌で知っている」。アンゴラからブラジルに逃げる若者らは徴兵義務から逃れることを望む。「けしかけられ」て、軍隊につかまることを恐れるのだ。しかしブラジルの生活は三年前に悪化した。別のファベーラから五十人の男が侵入し、六人を殺害し、四人を負傷させたのだ。その時、警察は「金で雇われたアンゴラ人」が密売の見張りとして暗躍していたという疑いをかけた。彼の友人は警察から暴行を受けたという。
十年の間に四度ブラジルに来たジアス(三二)の夢は戦争亡命者としてロンドンに住むことだ。「ロンドンでは中流階級の人間として、いい地区で生活できるだろう。ここではファベーラだ」。