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コラム 樹海

 戦後移民五十周年の記念行事のメインが二十六日に迫り関係者は大忙しだが、日本人が移民として南米の国・ブラジルを目指し船に乗った一九五三年(昭和二十八年)の日本はどんな様子であっただろう。講和条約の調印も済み戦後の連合国占領からは解放され独立国家の歩みはしていたけれども、まだまだ貧しさは続く。サラリーマンの月給は平均して八千円▼国民の一人当たりの所得は戦後初めて戦前を上回り生活水準は戦前を回復しつつあった。が、国民総生産は六兆九千億円と少ない。現在の六百兆円超に比べると、わずか一・三%程度なのだからーとても「豊か」とは言えない。それでも国民は誰もが頑張った。海外移民はそんな熱気が迸りでたものだし、これの実現のために吉田茂首相が力を入れ尽力したの話は余りに有名だ▼まだまだ「食べる」のが大変な時代だったのだ。だが、伊藤絹子さんがミス・ユニバースで三位に入賞し「八頭身美人」の流行語が生まれたりした。映画では仏の「恐怖の報酬」がイブ・モンタンの名演でファンを沸かす。ハリウッドはオードリー・ヘップバーンの「ローマの休日」と「シェーン」が大ヒット日本では佐田啓二・岸恵子の「君の名は」が大人気で話題になった▼暮らしぶりは苦しくとも、楽しみもあったのがなんともいい。しかしー、移民たちは貧しい。独身青年の持ち出し外貨の制限は五十ドル。それでも夢を膨らませ将来を語り合いながら航海の荒波に堪えた。あれからの半世紀で「戦後移民の今」があることを決して忘れてはなるまい。    (遯)

03/07/22