6月10日(火)
羽田宗義・愛知県人会名誉会長(元県連会長)の元で、「ぶらじる丸新聞」のコピーが見つかった。同移民船は一九五八年九月六日に神戸港を出港、翌十月十二日にサントス港に接岸した。羽田名誉会長は、「約四十日の航海中には様々な出来事があった。これ(船内新聞)は生き字引のようなもの」と、懐かしむ。今年は渡伯四十五周年の節目の年でもある。船内生活はいかなるものだったのかー。
「ぶらじる丸新聞」は謄写版刷り。創刊号(九月九日)は、「故国を離れて既に三日。幸い横浜出帆以来、海上平静に船は一路北太平洋を東に向かって快走しています」との書き出しで始まる。
続いて、「教養文化の向上を図り、船内共同生活の和合に寄与されん事を祈ってやみません」と、発刊の意図を記す。神澤柳洲船長、高島辰雄輸送監督の祝いの言葉もある。
羽田名誉会長によると、三日に一部ほどの割合で発行。同名誉会長のほか、橋元善二郎さん、跡部一博さんら数人が新聞班を組んだ。深夜の一時二時まで、仕事が終わらない日もあったという。
第六号(九月二十四日)は文芸娯楽版。「甲板でキス騒ぎ」との見出しで、パン食い競争中にパンが強風で宙に浮き、それを取り合った男性同士が〃口づけ〃を交わすことになった珍事が紹介されている。
パナマ運河を通過後、クリストバルで初めて上陸が許された。新聞班は寄港前に特別号(九月二十三日)を企画して、運河の歴史や仕組みを説明。「上陸券を紛失しないこと」、「夜間の外出をしないこと」など、クリストバル上陸に際しての注意点を挙げた。
このほか、船内では再渡航者を囲んでの座談会、赤道祭、のど自慢大会など多くの行事が行われた。
号数を重ねるごとに、幅広い内容を取り挙げていった。
羽田名誉名誉会長は、「同船者会は渡伯後、一回開かれただけで編集仲間との付き合いはもうない」と、語り、渡伯四十五周年を機に旧交を温めたいようだ。