6月4日(水)
【ヴェージャ誌】ルーラ大統領夫人のマリザ・レチシアさんは、夫の三回にわたる大統領選で裏方を務め、公衆の面前に出ることはなかった。今回の選挙戦では選挙参謀ドゥッダ氏の作戦で、微笑を振りまく役で駆り出された。夫の出征のためには、体を張り我を忘れて戦う猛烈夫人。その素顔をのぞいてみる。
マリザ夫人は歴代大統領夫人の中で、公の席に引き出される回数が最も多い。社会福祉事業か家庭に引っ込んだらどうかという声もある。夫のためにプラスになるなら、どこへでも行く。単なる社交なら、どこにも行かない。夫や子供のために、糠味噌をこね回すことに精を出す。大統領夫人の道楽みたいな福祉事業の名誉総裁として、ひな壇に納まるタイプではない。
夫の獄窓時代は、刑務所への差し入れや夫に代わりデモの段取りに忙しかった。夫の留守中は、家庭が四六時中当局の見張りを受けた。知人や友人は去り、孤独の時代もあった。夜学で政治学を聴講し、PT女子部を組織。いつも家を留守にし夜半帰宅したので、大統領から叱られ止めた。
マリザ夫人の質素で倹約癖は、筋金入りだ。実家はイタリア移民の家系。父親は野菜作りで生計を立て、貧しかった。マリザ夫人は小学校を中退した九歳から、ポルチナリ家で子守として働き始めた。十三歳でチョコレート工場ドゥコーラに、女工として就職。二十歳のとき、サンベルナルド・ド・カンポ市役所に事務員として採用された。
タクシーの運転士と結婚。妊娠九カ月目、夫が強盗に殺害された。未亡人となって三年目、労働組合へ行ったときルーラ大統領と知り合った。すでに夫人には別の婚約者がいたが、大統領の強引さに根負けして、一九七三年再婚した。現在、前夫の子と大統領の間にできた三人で四人の母。
ルーラ大統領の当選後、カルドーゾ前大統領と同席するイベントがあった。前大統領のあいさつが長かったので、夫人はいらいらした。晩餐会に移るとルッチ前大統領夫人は次の予定があるから早退するといったので、マリザ夫人は激怒し無礼だと叱責した。
大統領夫妻は、当選するまで家庭にお手伝いさんを置かなかった。大統領は、しばしば皿やパンツを洗ったり夫人の髪にボビンを巻き付けた。アウボラーダ宮に移ると、いっぺんに七十人の夫妻世話係に囲まれた。しかし、大統領夫人の手は節くれだった農婦の手だ。
同夫人に関するタブー十則があるので、紹介する。
一、夫が大統領に就任して間もなく、愛犬を公用車に乗せたことがマスコミに公私混合と騒がれた。本人も軽率な振る舞いを反省しているので触れないこと。
二、昨年やったリフティング(顔のしわのばし)の成果を質問しないこと。二度としないと誓った。
三、マルタサンパウロ市長に似ているといわないこと。
四、ルッチ前大統領夫人と比較しないこと。
五、髪の色でアドバイスしないこと。
六、魂胆があって、いかにも親しそうな口を利いて近づかないこと。
七、公衆の面前でのあいさつを依頼しないこと。
八、土曜、日曜に大統領を引っ張り出さないこと。
九、喫煙中に写真を撮影しないこと。
十、女性、特に女優らが大統領を取り巻かないこと。