5月22日(木)
本稿は元ペルー新報日本語編集長の太田宏人氏が本紙に寄稿したもの。パラグアイの日系ジャーナル社主、高倉道男氏が主に質問内容を考え、フジモリ帰国問題などについて、フジモリ氏の義弟で、日本滞在中のヴィクトル・アリトミ元駐日ペルー大使に五月上旬に、東京都内でインタビューした。
――ペルーで政治家や軍人として出世するには賄賂を周囲にばらまく必要がある。正直でまじめな日系人は悪いことはなかなかできないが、日系人がトップになるためには、やはり賄賂に頼らなければならないのか?
【アリトミ氏】たしかに、日系人にとって賄賂を使うことは難しい。ただし、フジモリの登場以降、出世のために、贈賄は必ずしも求められなくなったと思う。たとえば、彼が政権から降りたあとも、買収や賄賂なしで地方の首長に当選した日系人が何人かいる。その背景には、「日系人への信用」がある。
買収には二通りの方法があると思う。まず、文字通り金を使って他人をなびかせることだ。そしてもうひとつは、厳密には買収とはいえないが、志を同じくする者を見つけ、協力を呼びかけること。フジモリが行ったのは、後者だ。金ではない。
彼の政党に、マルタ・ヒルデブラン(元国会議長)をはじめとする優秀な学識経験者などの人材が集まり、現在でもペルー国内でフジモリを擁護してくれることをみても、それはわかる。
ペルーには「家族からは必ず軍人と弁護士、医者もしくは聖職者を出せ」という俚言がある。つまり、これらの職業が伝統的に国を支配する中枢にいたからで、しかも、それは一〇%にも満たない白人層が占めてきた。
フジモリが登場することで、伝統的な支配階級や既成政党からの反発は非常に大きかったが、彼は都市部の新興住宅地や地方の農村地帯へみずから足繁く通った。いわゆる貧困層の人たちと食事をともにし、彼らとふれあい、彼らの本当の声を聞いていった。彼らこそ、民主主義の主役であるが、その恩恵に浴すことが決してなかった「国民」である。彼らの声を国政に直接反映させたはじめての大統領が、フジモリだ。彼の政治の出発点は、大統領官舎ではなかった。国民の生活する場所だったのだ。彼らからの支持があったからこそ、伝統的な支配者層からの反発に対抗できた。
トレド現大統領も地方や新興住宅地に出かけるようだが、頻度では到底およばない。しかも、フジモリが推進した学校建設などの社会インフラ整備は、トレド氏も盛んに実行を約束していた。だが、実際には進んでいない。貧困地帯に出かけて帰宅したら、即座にさっさと手を洗う連中だ。
――しかし、国軍掌握にはモンテシーノス元大統領顧問のような影の実力者が必要だったのでは?
【アリトミ氏】フジモリ政権は成立当時からクーデター未遂の危機に何度もさらされてきた。生命の危険もあった。モンテシーノスのような存在の必要性はあったと思う。だが、彼の権力の増長を許してしまった。(つづく)