木は植えさえすればひとりでに育つ――そう思い込んでいる人が多い。都会に住みアスファルトの道しか知らずに過ごしてきたものを責めるのは酷だろう。が、木の種類にもよるし、土壌や周囲を取り巻く環境など考慮すると単純な思い込みはむしろ害となる▼いつぞやさる県人会が母県の知事来伯を記念して学校の庭に植樹した。この七月に再度来訪する知事との〃体面〃を試みようとしたが、肝心の木はすでに枯れてしまっていた。余程気配り万全の人がいて管理してやらない限りいつかはそうなる。これがために犠牲となる樹木がかわいそうだ▼そういえばかつて文協ビルの猫の額ほどの庭に植わっていた由緒ある「松」の姿がない。追跡?した結果、イビラプエラ公園の日本館敷地内で立派に育っていることがわかった。一九六七年五月、当時の皇太子・妃両殿下(いまの天皇、皇后両陛下)ご来伯の折り植樹された「お手植えの松」である。文協ビル周辺は、近年大気の汚染がひどい。ここではとても育ちそうにないということで十年ほど前に日本館に移し植えたのが功を奏した。文協がいかに細心の気を配ってきたかを物語る好例であろう▼訪伯する要人の記念植樹は大いに歓迎する。ただし、このあと関係者らが面倒みきれないのであるならば、計画は最初から立てない方がよろしい。後は野となれ山となれでは、樹木も浮かばれないし、だいいち「手植え」した要人に対して礼を欠くことになる。 (田)
03/05/14