5月8日(木)
リオ州日伯文化体育連盟(鹿田明義理事長)経営の学生寮「日進学寮」は、今年に入って閉鎖された。入寮生の激減、それにともなう経営不能がその理由である。学生寮建設は、日本語モデル校建設〃ブーム〃にさきだち、二十年前ころ、各地の日系社会で、必要視され、強力推進されたものだった。
連盟の会報『あゆみ』(四月号)に、学生寮担当役員、松岡利治副理事長が、去る一月の定期総会で閉鎖が承認されたこと、閉鎖までの経緯を書いた。
日進学寮は、JICAの助成を得て一九八四年十一月落成、十八年間で二百十六人の学生が利用した。ここ数年、少子化の影響か、日本就労に起因する空洞化によるものか、入寮希望者が地元リオ州内で皆無、日系ゼロ、寮経営は経済的に行き詰まった。
側面の状況は、地方都市にも一流大学の分校ができ、リオ市まで出なくても修学が可能になった。規律で束縛される寮よりもアパートに住む指向が強くなっている、都市近郊の場合、乗用車の長期分割払いがきく(購入がより容易)、道路事情の好転で通学時間が短縮された――などがある。
日進学寮の場合、常時七〇~七五%の利用(入居)率で収支が均衡していた。それが二〇〇二年下半期は六人、しかも他州出身の非日系人だった。「日系子弟のため、連盟会員子弟のため」という建寮の目的も失われたのであった。
松岡副理事長の報告は、学生寮建設時の関係者の結束、さらに予想外の閉鎖にふれ、最後に展望で終わっている。
建設にあたって、清水建設はまったく採算を度外視した。せめてこんなときにコロニアに恩返しを、と商工会議所加盟の企業が予想外の(多額の)協力をした。この建設に、一時期、リオ州のコロニアが一丸となって燃えた。リーダーたちが体で動いたのは、コロニア史上希有のことだった。いわば、記念碑的な存在であった学生寮であり、なんとしても続けたい、と願い、閉鎖などの言葉は数年前までは誰の頭にもなかった。
しかし、時代のニーズは、かわるのだろうか。選択肢が多様化し、価値観そのものが生き物のように動く。日進学寮閉鎖は、移民百年祭の記念事業として、なにか後世に残すようなモノづくりなどには、再考に再考を重ねなければならない、という生きた教訓だったかもしれない――。
旧日進学寮の建物は、連盟が新しい利用法を決めるまで、不動産業者に査定してもらい、賃貸に出されるという。