ホーム | 日系社会ニュース | 藤田知事植樹の木が枯死=桜など、イタケーラ広島中学=資金なく手入れせず 学校側=広島県人会困惑 もうすぐ「本人」が来伯

藤田知事植樹の木が枯死=桜など、イタケーラ広島中学=資金なく手入れせず 学校側=広島県人会困惑 もうすぐ「本人」が来伯

4月24日(木)

 藤田雄山広島県知事を団長とする訪伯団四十一人が〇一年四月に来伯、サンパウロ市イタケーラ区の広島中学(ロゼリ・リッタ・フェルナンデス校長)に桜、イッペー、パウ・ブラジルを記念植樹したが、その後、間もなく枯死していたことが二十三日、分かった。広島県人会(大西博巳会長)はこの事実を最近まで、きちんと把握出来ておらず、形骸化した県と学校の関係が浮き彫りにされた。県人会は母県より助成金を得て、会館を新築中で竣工式が七月二十七日に開かれる。式には、藤田知事も出席予定で、県人会は対応に追われている。
 細川晃央副会長、沖真一監事が二十三日、同中学を訪れ、現場を見た。
 植樹場所は、中庭の一角。休憩時間には生徒がボールを蹴ったり、斜面を滑ったりするなどして遊ぶ。
 身体や遊具が苗にぶつかる恐れがあり、植物は成育しないだろうと、専門家より事前に忠告を受けた。しかし、県人会は、多くの人の目につくと、あえて見栄を切った。それが、裏目に出た。 
 フェルナンデス校長によると、三本とも植樹後二カ月もたたないうちに枯れた。その後、藤田知事、筒井數三広島日伯協会長の氏名がそれぞれ記入されたプラッカが廊下わきの庭に移された。 
 「資金がありませんから」と、同校長。どうやら、手入れはされず、放置状態だったようだ。
 筒井会長は半年後の十月、再度来伯し、広島中学にも足を運んだ。そのおり、自身が植えた樹木は残っており、その他は別の場所に植え替えられていたと、県人会に伝えたという。 
 学校側の説明によると、この時点で木は存在していなかったはずで、両者の見方は食い違いを見せる。
 ともかく、苗は育たず、プラッカだけが空しく建っているのは、事実だ。
 県人会は、筒井会長の報告により、問題を認識した。会館建設の準備で多忙となり、議論は先送りされてきた。その間、関係者が学校を訪問することはほとんど無かったという。
 今年に入って、新会館の竣工式の日取りも決まり、招待者について、県側との交渉も始まった。県民移民九十五周年を兼ねて式典を開くなら、藤田知事の訪伯も可能なのではないかと、県側は見解を提示。樹木の成育問題が表面に出て来た。
 県人会は、カルモ公園の向かい側にある職員の駐車場に、改めて同様の苗を植え直し、体裁を整える考え。この日、細川副会長と沖監事が予定地に鍬を入れた。
 【広島中学】校名はCIDADE DE HIROSHIMA。生徒数は約四千五百人。七一年に、永野巖雄広島県知事(当時)が来伯、ロベルト・コスタ・アブレル州知事(当時)と会見した。アブレル知事が感銘を受け、当時建設中だった同校にヒロシマと名づけた。開校日は原爆の日の八月六日。七九年に宮沢弘知事(当時)、八四年に竹下寅之助知事(当時)が訪れ、記念プラッカが除幕された。