4月18日(金)
【エポッカ誌】イエス・キリスト(以下イエスと略す)の受難節(十八日)と復活節(二十日)、クリスマスはキリスト教の要となる重要な行事。その解釈には、二通りあるようだ。
第一は代罰説、つまり人類の罪の身代わりとなって刑死したという。ニケア公会議が行われた三世紀ころ、無学な一般大衆にも分かるように代罰説を考案したらしい。
第二にイエスが、身をもって模範を示した。人間の煩悩を断ち切るには、死の関門をくぐらねば悟りは開けないとし、その後に必ず復活があるという説。
現代流にいうなら肉体的生命の死に限らず職業的生命の死、社会的生命の死などを経るなら、万物の根源である宇宙エネルギー(最近は波動という)に接続されるという説だ。
ヨセフスのユダヤ史によれば、イエスは政治犯として処刑されている。当時イスラエル全土には、ローマの植民地から独立を企む多数の地下組織があった。人望が高いイエスに組織のシンボルになってくれと、最大組織代表のバラバは何度も頼みにきた。
固辞するイエスに対し組織は、イエスに瓜二つの影武者を仕立て組織のシンボルにしたという文献もある。イエスはイスラエル北部片田舎のガリラヤ地方で伝道していたときから、待望の救世主ではないかという評判は全土に伝わっていた。
イエスのエルサレム上京は、危険な人生の仕上げだった。木曜日の晩、使徒や弟子らと車座になり最後の晩餐(名画にあるような机と腰掛けはなかった)をとった。当日イスカリオテのユダがスポンサーであった蜂起があり、イエスに外出しないよう注意していた。
ユダは、本名をエネアス・サドク六世というユダヤの貴族で銀行や商社を経営する資産家の御曹司であった。イエスは金曜日、裁判にかけられ処刑される。ユダと国会議員でイエスの弟子であるアリマタヤのヨセフは、ローマの部隊長に賄賂をやってイエスの遺体を早めに引き取ったと外典にある。
ヨセフ特設の墓所に安置された仮死状態のイエスは、ユダがアレキサンドリアから呼び寄せた名医二人に当時最高の医術を施したと他の外典にある。イエスは日曜日、意識を回復した。