4月10日(木)
【エポカ誌】日本酒は日系人の飲み方以外では、日本食レストランのみで出され、ストレートで楽しむアルコール飲料だった。その考えはカルフォルニアで変わった。カクテルとしてたしなまれ始めたのだ。
その後、日本酒は、西洋と東洋を融合させる飲料として流行の波に乗り、日本人コミュニティーを飛び出した。まず、若い女性がサケ・カイピリーニャに飛びついた。
ウオッカやピンガに比べてサケ・カイピリーニャは、口当たりが爽快でアルコール含有量が低い。それに、二日酔いにもなりにくい。
中高年男性も流行を受け入れ、バーだけではなく、家庭でも飲まれる習慣となった。輸入製品二種を取り扱っているスーパーによると二〇〇二年に、二〇%販売実績が増大した。
サンパウロやリオデジャネイロのナイトライフで、レモンやほかの果物で割ったサケ・カイピリーニャをメニューに加えるのは既に、普通となっている。
最近、マルガリーダからアイディアをとった「サケリッタ」や、ウオッカ、リコール、スグリで割った「サムライ」、「ブレーデ・ランナー」が登場した。
日系人は国内で日本酒を醸造しており、消費の拡大を喜んでいる。輸入製の日本酒の販売も増加した。
白鹿を輸入しているトラジブラス社は、昨年、最も価格の安い商品が一三%伸びたと、統計を出した。ビン入りは高価だが、需要は二〇%、増えた。