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反戦、反テロをキャンペーン=被爆者らの体験取材=サンパウロ市のテレビなど6社=「伝えるのは私たちの義務」=使命感に燃える森田さん

4月5日(土)

 イラク戦争の勃発で、被爆者や特攻隊の生き残りがブラジルのメディアに、引っ張りだこになっている。戦争体験を紹介することで、反戦、反テロを訴えるため。在ブラジル原爆被爆者協会(森田隆会長)は三月末から三日までにテレビ局、新聞社合わせて六社から取材を受けた。
 「ピカッ、ドーン。一瞬、何が起きたか分かりませんでした」。レッジ・ムレェー局のニュース番組、「ジョウナル・ダ・レッジ・ムレェー」。生々しい被爆体験を語る森田会長の姿が三日午後七時、ブラウン管に流れた。
 「広島市に投下された原子爆弾よりも破壊力のある原爆が今はある。それが、使われたら世界は終わり」。
 先月二十一日から、戦争体験を語ってほしいとの取材依頼が被爆者協会に相次いで舞い込んできた。
 聖戦(ジハード)を掲げるイラクが、軍国主義だったころの日本に重ねやすい。
 また、一昨年九月十一日の米テロ事件以降、自爆テロが注目されており、体当たり戦術という点で、特攻隊を比較対象にできるということのようだ。 
 レコード、オ・グローボ、バンデイランテスの大手テレビ局が取り上げたのをはじめ、ジアリオ・デ・サンパウロ紙は、一日付けの国際欄第三面の半ページを割いて紹介した。
 この日三日は、ジョウナル・ダ・タルデ紙が、元特攻隊で被爆者の芦原学さん(七三、長崎県出身)を取材。「神風」の心理状態や、被爆直後の長崎などをつぶさに質問していた。
 芦原さんは十五歳で旧海軍飛行予科練習生を志願。沖縄に向けて四五年八月二十一日に出動するよう、命令が下された。
 肉親との別れのため、故郷の長崎県川棚町に一時帰省したおり、長崎市に原爆が投下された。死体処理のため、同市に向かい入市被爆した。
 「天皇陛下のために戦った。上官の命令は絶対だった」と説明。さらに、「訓練中の写真などをもっていたが、上から命令で全て焼却した」とも。
 フェリッペ・ドッチ記者は、「今、実際にイラクで戦争が行われている。ブラジルは戦地と離れているが、実体験を語ってもらうことで、戦争の現実を読者に知らせたい」と、取材の目的を話した。
 各社から取材を受けることについて、森田会長は、「早く戦争が終わってほしいという一心。被爆体験を伝えるのは私たちの義務であり仕事だ」と、使命感に燃えている。