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「僕らもデカセギだった」=ブラジル人音楽家がライブ

4月4日(金)

 「有名ミュージシャン(音楽家)のように日本に一週間といない人と違って、僕らのようなミュージシャンは半年とか一年とか住むから、文化摩擦とかカルチャーショックとか、デカセギと同じように分かるんです」
 八回の訪日で計四年間も、東京などのライブハウスで演奏活動をした黒人音楽家ジョルジ・カヌートさんは力説する。「日系人だけがデカセギじゃない。僕らのようなミュージシャンだってそう。そんな仲間を集めて、曲の合間に日本での経験談を語る。そんなショーをやってみたかった」。
 その夢がかない、二十七日にサンパウロ市ヴィラ・マダレーナ区のバール・キングストン(Rua Mourato Coelho, 860)で「Tambem fomos dekassegui」(僕らもデカセギだった)というショーやることになった。訪日経験のある音楽家六人ほどが集まり、オリジナル曲をはじめ、有名なMPB、サンバ、パゴッジ、アシェなどの曲を演奏し、合間にそれぞれが日本での経験談を語る。もちろんカヌートさんは自身の黒人サンバ・バンド「クロンボ」を引き連れてでる。
 例えば、八三年に彼が訪日していた時、友人のブラジル人女性歌手がアパートのことで相談にきたことがあった。「家に入る時に大家が待っていて、足を指差しながら怒るんだけど、何言ってるか分からないから、ちょっと話してみて」と頼まれ、日本語の少し話せる彼がいった。
 「行ってみると、アパートの入り口に〃kokode kutsu wo nugu(ここで靴を脱ぐ)〃と書いてあった。ローマ字で書いてあっても、日本語を知らない彼女には理解できなかった。おまけに彼女はアパートのカーペットの上でタバコを踏み消していたので、痛んでいた。それで大家さんが怒っていたわけだ。彼女に日本の習慣を説明したらすぐに理解し、二人でチョコレートの詰め合わせを買って、大家さんに詫びに行ったら許してくれた」
 こうして大家さんとも仲直りし、彼女は無事に一年間仕事を務めた。
 そんな経験を、行ったことのないブラジル人にも、ショーを通して語るのが今回の企画だ。それぞれのミュージシャンが抱腹絶倒の話から真面目な話まで、いろいろ語る。「日本人のお客さんが着てくれたら、特別に、演歌をサンバ風にアレンジして歌ったりするかも」と誘う。
 十三日は「A Tarde do Som」(音楽の午後)、二十日は「Toquem os Tambores」(太鼓の響き)というテーマでバンド「クロンボ」がショーをする。
 開始時間はどの日も午後五時で、十一時ごろまで順々に演奏をする。飲食料とは別途、音楽料として五~十レアルかかる。たまにはブラジル音楽や親日音楽家のデカセギ談義を聞くのも変わっていて面白いかも。