3月28日(金)
【アゴーラ紙二十七日】イラクの兵士だったロアイ・ナヤン・アブドゥラさん(三五)が一九九三年から、サンパウロ州ジュンジアイー市に在住している。アブドゥラさんはアゴーラ紙の取材に応じ、イラクでの戦争体験談を話してくれた。サダム・フセイン政権については、コメントを避ける。だが、「フセイン大統領の政権をとる権利があるのは、イラク国民だけだ」と、アブドゥラさんは明言した。
「入隊当時、わたしは十八歳だった」。アブドゥラさんは、八六年に軍隊へ入隊した。八八年にイランへ出兵した。幸い二カ月後にイラン・イラク戦争は終了した。
そのまま軍隊に勤めていたアブドゥラさんは、九一年に米国が率いる同盟軍との戦争に二回駆り出された。「地上戦はなかったが、同盟軍の戦闘機が我々の頭上に爆弾を投じていた」と語る。爆弾の〃雨〃をくぐり抜け、生き残った。「イラク軍の要塞から同盟軍の戦闘機を狙って発砲していた」。
戦争が終わり、荒れ果てたイラクの地と死の光景が視界に広がった。「親戚や友人たちを大勢失った」と述懐する。「戦争が終わった後も、爆弾の爆発による煙が立ち込め、バグダッドは三日間も暗闇に包まれた。降雨時には雨ではなく、オイルが降ってきた」。
九三年、兵役を終えたアブドゥラさんは、「イラクから出るチャンス」とみてブラジルへ飛び立った。「ブラジル人の知り合いがたくさんいたから。いろいろあって、ジュンジアイー市に流れ着いた」と説明する。
こうして元兵士は、電機製品や携帯電話を販売する店の店主となった。だがアブドゥラさんは今も、戦争の悪夢にうなされている。バグダッドには母や六人の兄弟たちがいる。「毎日電話で彼らと話している。この戦争が早く終結してくれることを祈っている」。表情は暗い。
「九一年の湾岸戦争までは、イラクに貧困はなかった」と話す。戦前は一ディナール(イラクの通貨単位)四ドル相当で、貧しい人でも月給四百レアルを確保していた。だが米国の経済制裁で、一ドルが二千七百五十ディナールにまで高騰した。「現在では、医師の収入は月にたった二ドル。生き延びていくために家具を売る人までいる」と、アブドゥラさんは打ち明けた。