3月22日(土)
【フォーリャ・デ・サンパウロ紙二十一日】米国の対イラク戦争初日、在伯イラク人たちのイラクへの国際電話が殺到し、電話件数は九〇〇%も増加した。電話会社『エンブラテル』によると、中東地域への電話が、以前の一日六十から三〇〇%増の二百四十を記録したと伝えている。一方米国への電話は、サンパウロ州電話会社『テレフォニカ』は「二〇%増えた」と報告したが、エンブラテル社は「変化はない」としている。
二十日午後三時三十分(イラク時間午後九時三十分)、サンパウロ市からイラクに必死に電話していた商店経営者のアーマド・ハサン氏(三三)が、開戦後初めて家族と話すことができた。ハサン氏はバグダッドにいる家族を心配していた。「米国軍の激しい空襲音が響く。標的を間違えば、爆弾が家に当たって崩壊するかもしれない。庭にいた方が安全だ」と話す父親の言葉を聞いて、ハサン氏は絶望感に襲われた。
ブラジルには現在、ハサン氏のようなイラク人移住者が百六十人居住している。連邦警察によれば、不法入国者もいる可能性があるという。一九二四年、初めてイラク人移住者が入国。現在六十九人がリオ市に滞在。サンパウロ市には五十一人在住している。イラク人の多くは商業を営み、イスラム教徒が圧倒的に多い。
在伯イラク人のほとんどが戦争に反対している。反面サダム・フセイン政権に対してコメントするのを避ける。「我々は平和を望む。戦争には反対だ。だがイラク国内の政治には口をはさみたくない。それはイラク国民の問題だ」と、ハサン氏の姉・ナヤーさん(五一)は話す。
商店経営者のエサム・アル=サムマライエ氏(四三)は、九二年からサンパウロ市に在住している。「暴力には百パーセント反対だ。だが暴力に対して頭を下げることはできない。サダムは最後まで抵抗するだろう」と憤る。「フセイン氏を支持するか」との質問には、「いつも聞かれる。それにはノーコメントだ」と逃げる。
コメントの少なさから、イラク人たちのフセイン政権に対する恐れが見え隠れする。現地に住む親戚が報復を受けるのを懸念しているのか―。二十五歳のイラク人青年は、「コリンチアンスやパウメイラスについては話すが、サダムについては話さない。戦争が早く終わってほしいとだけ書いて」と記者に指示した。