2月8日(土)
ブラジルが大好きな歌手、田端義夫さんは、今年八十八歳になる。現役である。ブラジルで公演したいと願っている。これまで一九六八年を初回に三度来伯、ステージをつくった。
ジャバクアラ在住の〃開かずの金庫〃開けの名人として知られる茂木安太郎さんは、田端さんと親友、昨年、自身の古希祝いに夫人と訪日、足掛け九カ月滞日、その間、三回、田端さんと会う機会をつくり、旧交を温めてきた。
昨年四月に日本に着いた茂木さんは、郷里の群馬で小学校時代の同級会などに出席したあと、翌月、田端さんに会うため上京した。東京駅の八重洲口に田端さんが出迎えていたという。これほど、二人は親しい。積もる話をしたとき、田端さんが「ブラジルにもう一度行きたい。私一人だとギャラはいらないが、スタッフの経費もあるので……」とブラジル公演の困難さを口にした。
十月二十五日には、東京の「ゆうぽうと簡易保険ホール」で催された第二十九回歌謡祭に招かれた。日本歌手協会(田端義夫会長)の主催だった。ベテランを中心に二十二人の歌手が出演、賑やかな舞台だったという。田端さんはここで、日系コロニアにメッーセージを寄せた。「オース!田端義夫です」で始まっている。「二〇〇三年は日本移民九十五周年の年。大事な節目ですね。私の歌が少しでも皆様の心の安らぎになれば、歌手としてこれ以上の幸はありません」とあった。
元旦には、電話で年始のあいさつ。年を越して一月二十四日に、別れを告げ、帰国の途についた。田端さんは文協、援協、救済会、汎アマゾニア文協、北伯群馬県人会に、ヒット曲を録音したテープをみやげに託した。