2月5日(水)
KEROPPIの共同経営者であるエリザベスさんにとって、漢字Tシャツは、単なる商品ではない。
「私たちのデザインは、メッセージです」と言い切る。例えば、「水 ゆっくりあわてずに」という印刷に込められた意味を説明して「サンパウロでは、誰もが急ぎ足で歩いている。もっとゆとりを持っては」と語る。「平和」などの漢字は、pazという言葉がブラジル人に好まれるから書いているわけではなく、「自分たちが伝えたいこと」だという。
「深い意味のあることば、日本文化の美しさを伝えるような字を選んでいます」と話す。大学では美術を勉強したというエリザベスさんにとって、漢字Tシャツはメッセージを乗せるキャンバスでもあるわけだ。「今の日本は伝統を失っている面があると思う」と、憂いている。その伝統を自分たちは残していくんだ、という自負がある。
しかし、こうした思いを持った日系の業者だけが漢字Tシャツを作っている訳ではない。粗悪な製品が出回っているのも事実だ。ブラジル人から見れば大した違いはないという理由で、字体が不正確な漢字、裏返しの文字や誤字などが入った製品も、許容され販売される。
それに対してジャパン・ソサエティのタルシーゾ代表は「誤った漢字が入った製品は、作ってはいけない」と強調する。それに加えて「フェイオだ」と。日系の作り手が持つこだわり、美意識が見え隠れする。
メッセージ性や美意識は、消費者である非日系ブラジル人にとっては分かりにくいものかも知れない。それでも、KEROPPIやジャパン・ソサエティは自分のこだわりに従って、製品を作り続けている。
日本から移り住んだ造形作家の吉沢太さんは、こうした状況に対してもう少し寛大だ。「着るものは、その人にとって内面の表現でもある。その手段として漢字が受け入れられているのは、嬉しい」という。
字が間違っていても、そうでなくとも、漢字Tシャツを着ている人とすれ違うと「必ず目がいく」。ここはブラジル。既にブラジルの文化である漢字のデザインに対して、「日本から見て、良い悪いを言う必要はない」とおおらかに話していた。
漢字Tシャツを「コロニアを越境した日本文化」と見るか、それとも「ブラジル文化の一部」と見るか。それによっても、考え方は違ってくるだろう。
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これまでは、Tシャツという製品を通して漢字を見てきた。大部分の消費者にとって、漢字は「自分が書けないもの、誰かが書いたもの」である。自分で書くことができないからこそ、消費者はその漢字を店で「買う」。
日本語教育の視点から見ると、また違った一面が見えてくる。学習者にとって、漢字は書くもの。その視線もおのずと違ってくる。
(渡辺文隆記者)
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