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コラム 樹海

 先だって仲間と三人で一盞傾けながら話題が日本の教育に及ぶ。我らの年齢は還暦過ぎで戦後教育の申し子だがまだまだ当時は昔ながらの学校があった。勿論のことに議論といったものではい。祖母やお袋と風呂に入ると八岐大蛇(やまたのおろち)の話をして呉れたことや大きな山の蛇が美しい娘になり村の長者に嫁いだなどを物語ったのは三人に共通体験なのも面白い▼そのうちに禍泉(酒の別称)の勢いの呑まれてしまったのか、戦後の教育は日教組などで駄目になってしまったになる。「ゆとり教育」とかで学習内容を三〇%も削減し土曜日も休日とはけしからん─の怪気炎となってしまったが、これもお年寄りの仲間入りが近づいたせいか。仲間が言うには「自主性、独創性、創造性を養う」とかの米国式「ゆとり教育」はもう失敗したのだそうだ。それよりも「読み、書き、算盤」の基礎こそが大切だと強調する。なかんずく、国語教育が基本であるとも▼算数や歴史、科学を学ぶにしても国語は欠かせない。知的活動の根本にあるものが国語だし、古典のもつ美しさ明治から始まる鴎外や漱石などの文学に親しみ人間としての情感を豊かにするのも国語なのである。なのに小学校に於ける国語の学習時間は年々減っている。四年生で見ると一九一八年(大正七年)に週十四時間あった▼一九四〇年(昭和十五年)には十二時間。現在は実質的に三、四時間しかない─と嘆き節は続く。こんな体たらくでは古典は疎か明治文学が読めないのも何の不思議もない。  (遯)

03/02/01