1月30日(木)
日本で発売されている『月刊まんがくらぶ』という雑誌に「寺島お仕事探検隊」というコーナーがある。毎回、職人や様々な仕事場を訪ねてマンガにしているのだが、今年一月号ににブラジルのコーヒーが取り上げられた。
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現在、世界に流通するコーヒー豆の約三十パーセントがブラジル産、そのまた三十パーセントがセラードコーヒーなのだという。
土が酸性で閉ざされた不毛の土地といわれるセラードで二十九年間に渡って、コーヒー栽培に挑戦し続けた日本人がいる。
「私がコーヒーを始めた頃は、自家用程度にしか栽培していなかった」と当時を振り返るのは下坂匡さん(六十五歳)。セラードには乾季と雨季しかなく収穫時が乾季に当たっていることが下坂さんを閃かせた。「もしかするといけるかも」。
その結果がミナス・ジェライス州のカルモ・ド・パライーバ市で二万六千ヘクタール以上の農場を構える大ファゼンデイロである。
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この漫画では七十六年に下坂さんの農場に滞在した繁田健之さんとその十年後に農業研修生として同地で研修した関根匡さんという二人の青年の話から始まる。「日本で下坂さんのコーヒーを売りたい」という共通した発言にピンときた下坂さんは日本で実家のお茶屋で働いていた繁田さんを紹介する。
帰国後、関根さんは繁田さんを訪ねる。意気投合した二人は自家培煎のコーヒーショップを始めたものの、当時、コーヒー豆を個人が自由に買うのは非常に難しかった。
一年後、二人を訪れた下坂さんはその状況を知り、直接豆を卸すことを約束。当時、コーヒー豆には輸出枠があったため、どうしても大量に送る必要があった。
その時送られた量は六十キロの袋が二百俵。捌ききれない分は自家培煎を行っているコーヒー店に委託販売を依頼。こうして「カルモシモサカ」と名付けられた下坂農場のコーヒーが日本に第一歩を踏み出す。
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それから十五年、今では全国約百五十店に「カルモシモサカ」は置かれ、その中の八十店が主な商品として扱っている。値段はちょっと割高だが、「日本に送るコーヒーは最高の品質のものを送っている」と下坂さんは強調する。
下坂さんは昨年九月に日本を訪れ、繁田さんと自分のコーヒーを販売している店を一ヶ月半かけて、くまなく回ったという。そして下坂さんは上海も訪れた。何故上海か。
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十五年前始めて二人に送った二百俵も今では年間に千五百俵。人間のつながりが日伯間をつないだ。しかし、二人はそれだけには飽き足らず日本独自のスタイル、自家倍煎のシステムを海外で、と今年一月十一日に中国は上海に「カフェドカルモ」をオープンした。
日本を越え、中国にも広がっている下坂コーヒーが世界に名だたるブランドコーヒーとなるのも近い将来かも知れない。
三位一体となった繁田さんと関根さん、そして下坂さんの飽くなき挑戦は続く。