1月16日(木)
天皇、皇后両陛下から今年も、西礼三さん(七一)のところに年賀状が届いた。西さんは元サンパウロ州軍警察大佐で、一九六七年と七八年に両陛下(当時、皇太子)がご来伯された際、特命護衛武官として護衛任務を果たした。以後二十五年間、両陛下のご署名が入った年賀状が欠かすことなく毎年届けられている。西さんは訪日したときは必ず皇居を訪れ、特別待遇で天皇、皇后両陛下と三人だけで話をすることが許される。
新年に受け取った年賀状には「賀正」と書かれ、明仁、美智子と墨痕鮮やかに大きなご署名がなされてある。背広姿の天皇陛下、日本着の皇后陛下、紀宮清子内親王殿下三人のお写真が添えられてある。和紙の封筒には宮内庁の判が押されてあった。
西さんは日本へ行ったときは必ず宮内庁へ電話し、「天皇、皇后両陛下によろしくお伝えください」と訪日している旨伝える。そうすると必ず皇居へ来るように連絡がある。今まで十四回訪日しており、毎回、ご接見が許された。両陛下が一回目にご来伯された六七年の翌年、西さんは外務省研修生として訪日、皇太子さま(当時)はほかの国の研修生十人とともに西さんにお会いになった。一回二十分単位でご接見があった。西さんは日本語が上手ではなく失礼があってはならないと「はい、はい」とだけ答えていた。陛下は西さんの気持ちを察し、「この次からは三人だけで話をしましょう」と異例のお言葉を西さんにかけられた。以後十三回のご接見では、二十分のセットが倍に延びて四十分になることもあった。
両陛下は「ご家族は元気ですか」、「今回は何をしに日本に来たのか」などこまやかな気の遣いようを見せながら、声をかけられる。ブラジルのことも詳しく聞きたがる。西さんが日本語の言葉の意味が分からなく聞き直すと、美智子さまがすぐにフランス語で質問し直す。どんなに時間がかかっても、両陛下は決して嫌な顔を見せることなく忍耐強く、お言葉をかける。昭和天皇が崩御される前、西さんは「父(昭和天皇)によろしく」と言ってしまった。両陛下は笑うことなく、真面目な顔をして「お伝えします」と話された。西さんが変な日本語を使っても、両陛下がお笑いになったことは一度もないという。
陛下は、「日本に来たときは、夜中でもいいから電話するように」と西さんに特別の電話番号を教えられた。
九七年に両陛下がご来伯されイビラプエラ公園の体育館で開かれた歓迎会で、両陛下は歓迎人の中にサンパウロ州軍警察を退官した西さんを見つけ、わざわざ赤いじゅうたんから降りて西さんにあいさつした。