1月10日(金)
【エスタード・デ・サンパウロ紙】地面丸出しの道路、あふれるばかりの緑。ビルは一棟もなく、車も少ない。野生動物が家の庭に姿を現すこともしばしば―。一九五〇年代、六〇年代、あるいは七〇年代、サンパウロ市民は中心部のセー区から二十キロほど離れた場所に、のどかな場所を見つけ、移り住んだ。だが都市がどんどん押し寄せ、のどかな場所はあっという間に大都市に変身。都市化とともに治安も悪くなり、大都市から逃げた住民たちは頭を抱えている。
サンパウロ市アウト・ダ・ボア・ヴィスタ区に住んでいたルイス・グリセーリオさんとミリアン・B・フレイタスさん夫婦は、「渋滞もなく、犯罪もない場所で老後をのんびりと暮そう」と三十八年前、電気すらなかったサンパウロ市南部リヴィエラ・パウリスタ区に移り住んだ。
「今でも小鳥たちのさえずりが聞こえるわ。百年生きてきた大木もまだある」とミリアンさんは言うが、昔と違うことは確かだ。子供たちを遊ばせた緑にあふれた丘はもうなく、サンパウロ市の農村風景の面影も消えた。家のガレージの壁には、銃弾の跡がある。
同地区はグアラピランガ湖の近くで、IBGEによると、この付近は一九八二年、人口三十三万二千人だったが、現在では七十万人まで増えている。グアラピランガ通りでは、毎日九万二千七百台の車両が運行する。同湖付近の不法占拠による湖汚染に、夫婦は心を痛め、サンパウロ市や検察局に訴えてきた。
サンパウロ市南部シャッカラ・フローラ区も同じように、文明とかけ離れた自然に囲まれた場所だった。同区に住むロングマンさん(八三)は、「この辺りの土地はとても安かった。一時間置きにくるバスに乗るには、ワシントン・ルイス通りまで長距離を歩かなければならなかった」と追憶する。
このほか、大サンパウロ市圏コチーア市グランジャ・ヴィアーナ区など、都市化が進み、のどかさを失った場所は多数ある。サンパウロ市北部セーラ・ダ・カンタレイラ区もその道をたどっている。
逆にサンパウロ市に戻ろうとしている人々もいる。グランジャ・ヴィアーナ区に住むヴィラッサさんは、「七〇年代に同区に移り住んだが、強盗に遭った。一九八五年に(サンパウロ市)アウト・デ・ピニェイロス区に引っ越した。あの平和なグランジャはもうないね」と語っている。