1月10日(金)
五日付エスタード紙は「ジッコの夢が終わりかけている」という見出しで、Centro de Futebol Zico(ジッコ・サッカーセンター、以下CFZ)が今年中に閉鎖されると報じた。このサッカークラブは、選手が自身の動向に直接関係できる企業的経営体質を持ち、なおかつ、すぐにリオ州の一部リーグに参加することを目標に、ジッコとその後援者たちによって九六年に創立された。サッカー留学生も受け入れるなど、少なからず日本とも関係があったた。
昨年暮から日本サッカー代表監督に就任した、ジッコが挙げている閉鎖理由=堕落(リオ・サッカー連盟の)は深刻だ。ジッコはCFZがリオのエリート集団に入れなかった原因の全てをリオ・サッカー連盟に帰している。彼のクラブは五年連続、リオ州二部リーグの決勝戦に進んだが、すべて思わしくない結果に終わった。例えば、最後の年ではリオ・サッカー連盟が「選手登録の不備」を理由に三ポイント減点し、敵チームのカーボフリエンセを優勝と宣言した。
リオでの戦いに困難を感じたCFZは、二年前からブラジリア直轄区に籍を移した。そこでいきなり、〇一年には二部リーグで優勝、〇二年には一部リーグでも優勝し、今年のブラジル杯に出場を決めた。
フラメンゴの英雄、ジッコが企業的体質を持つクラブを構想したのは、もともとリオ・サッカー界の凋落を嘆いてのことだった。入場料収入ではクラブ経営はまかなえず、TV放映権料と選手を高く売ることでしか手段はない。現実にブラジル全土のクラブの大半が慢性的な赤字経営に陥っており、サッカー界の将来に暗い影を落としていることは長いこと指摘されてきた。
クラブチームは一般に、スポーツ振興非営利団体として長いこと各種税金を免除され、一部役員にしか分からない不明快な会計体質を醸成してきた。それを企業的な明朗会計にする目的で、連邦政府からのスポーツ界改革が進んできている。だが、多くの有名クラブは既存の体質を変えることをよしとせず、法律の有名無実化を共謀してきた経緯がある。
ジッコなりのサッカー界再生プランとして、このクラブは計画されたが、既得権益の壁は厚かった。
同紙によれば、二人のコーチと六人の選手はヴォウタ・レドンダ・クラブに、二人はフラメンゴに、二人はボタフォゴ、一人をバングーに無償で貸し出した。主力チームはブラジリア選手権大会とブラジル杯へ参加する予定。
リオ、パラナ、ブラジリアと三校あったCFZは、職員給与が月々二十万レアルに上り、日本に三人の選手を、ヨーロッパに四人を売るなどしてまかなってきた。本来の創立目標である、子どもたちにサッカーを教えるサッカー学校としての機能は、年内に順次解体され、ブラジリアを拠点とするクラブ・チームとして存続するのではと推測される。