「それで、しばらく落ち着いていたんだけれど、また姑と喧嘩。また家を出て、また戻ってと彼女は大きく笑い、またお金を使うために土地を買って」
「で、その度に土地を増やしたの?」
「そうなのよ」と彼女は大笑いをし、
「でも今は、おばあちゃんには隠居してもらってね、離れて暮らすようになってからは楽になったの」一息いれてから、ふと思い出したか、
「あの頃いつも、山ウナギだよなんて、蒲焼を食べさせられたのよね」と言った。
「パラグアイにもうなぎがいるのね?」と私が聞くと、
「いやあ、あなた、そうじゃないのよ。蛇という蛇は見つけたら殺さなくてはダメなのよね、危ないから。山ウナギって、その蛇だったのよ。姑は私の体のことを心配して、体力の付くようにと騙して食べさせていたんだわ」と面白そうに軽く笑った。
「へえ、聞いたことあるわよ、日本に居る時、蝮の酒があるって」と思い出しながら言ってから、
「それで、山ウナギってどんな味?」と聞いてみた。
「少し土臭いというか変な匂いがしたけれど、サンパウロや日本からの輸入の醤油と砂糖の付け焼きでしょ。香草も振りかけてあるし、蛇だなんて知らないから美味しく食べたわよ。ただ食べ過ぎると鼻血が出るって言ってね。みんなでほんの一切れずつだったわ。いま考えると、おばあちゃんも、悪い人じゃなかったのにね。嫁と姑、小姑の仲って情けない辛いものね、あなた、あなたにはそんな人がいなくて幸せよ」と言った彼女は、あのダッコちゃんの面影は跡形もなく消え、貫禄充分な主婦になっていた。
これを書くために、近所のその教会からパラグアイ支部教会の電話番号を聞き、山並明子へ辿りつくことができ、実に二十数年ぶりに彼女の声を聞いた。元気いっぱいな声で、
「今は私が大将よ、小姑も、もちろん姑もいないしね」と言った。
「幸せね、子供は何人?」と聞くと、「男二人、女三人。長女が四十歳、長男が 三八歳よ。長女は大学の法科の教授しているの」と答えた。誰かがゲームをしているのか、バッキューン、キューン、ガシャガシャと音が受話器に入って聞きにくい。
「あなたは百姓をしているの?」と聞けば、
「私は隠居しているのよ。息子に任せたの。ファゼンダ(農場)は、米や、大豆、ひまわりなんかを作っていて、牛も飼ってる。私は、今では一年に一回、主人と外国旅行をするのよ。去年はオーストラリアに行ったのよ」と楽しげな表情まで伝わる言葉がかえった。
「わあ!凄い!良かったわね。頑張ったわね」と言うと、
「ユリさん、遊びにおいでよ。旅費だけあれば、あとはお金かからないから」と誘ってくれた。いつか旅費を作って彼女が家出の度に広げた農場を見て、その邸宅に泊めてもらいたいものである。
同船者の誰とも交流はないとのことであるが、もうダッコちゃんなんて呼んじゃいけないだろう。
自分で選んだ道を歩き通して四十一年。あのピチピチした娘だったダッコちゃんは、今では六十四歳になった。そして痩せた私も、もうすぐ六十八歳になる。
四十五キロの体重が今では五十六キロになった。もしかしたら生まれた町しか知らない同級生達よりも、その分だけ強かであり、線の太い女になっているだろう。