ウルグァイ元首〃ドン・ぺぺ〃こと、ホセ・ムヒカ氏の『世界一質素な大統領』としての評判はスッカリ定着した。そんな好評の裏で、歯に衣着せぬ発言が多く、外交界で色んなゴシップにこと欠かぬ、ユーモラスな「失言居士」としても有名だ。
ゲリラ闘士時代の血騒ぐ?
最近は例の調子でメキシコとの外交摩擦を惹き起こした。ドン・ぺぺは「自分のこの独特な〃挑発的で又は滑稽な表現癖〃は、過去ツパマロス民俗開放運動のゲリラ闘士として軍事政権下で長年牢獄生活を過ごした時代に帰する〃遺産〃である」と弁明する。
メキシコのエンリケ・ペニャ・ニエト大統領は、ドン・ペペが最新版の『Foreing Affairs Latinoamerica』誌のインタービュー記事で、メキシコ・イグアラ市学生集団失踪事件に関し不適切な意見を述べたとして断固と異議を申し立てた。結局ドン・ペペはその発言を撤回せざるを得なかった。
ドン・ぺぺが言った事は、「43人もの学生集団失踪事件は、余が遠望する限りでは完全に公権力の制御が麻痺し、一種の国家破綻を来たした結果だ」とし、且つ「この様な事件は〃巨大な汚職〃の蔓延に依って生じる以外の何物でもないと余の眼には映る。言わば暗黙の社会的俗習だとの印象を受ける」と評したものである。
これを知って治まらないのはメキシコ政府で、外務省はウルグァイ国のメキシコ市駐在ホルヘ・アルベルト・デルガード大使を召致し、正式に抗議を申し立てた。ドン・ペペはこれに対し公式に釈明した。
事実、11月24日早暁公式に発表された声明書で、ウルグァイ大統領ドン・ぺぺは、メキシコとの「政治体制及び行政体系の連帯コミットメントを確認し、お互い政治の中枢は各政党とその古来の伝統的基盤に成り立つそれぞれの民主主義制度をもって近代の挑戦に対処せんとするものである」と明言した。
そして、同日チリのサンチァゴ市で開催された太平洋同盟と南米南部共同市場の合同外相会議の席上で、ウルグァイのルイス・アルマグロ外務大臣と出会ったメキシコのホセ・アントニオ・メアデ外務大臣は、「ドン・ペペの失言問題はこれでめでたく穏便に終結した」旨、同国政府の意向を正式に伝えた。
亜国大統領を「この婆さん」呼ばわり
しかし、これ以外にも2013年4月にはドン・ペペ持ち前の正直過ぎる〃表現癖〃が災いし、アルゼンチンとの間で気まずい外交騒動を生じた。
では、その時にどんな口を滑らしたかと言えば、ドン・ぺぺはクリスティーナ大統領を指して「この婆さんはスガメの爺さんよりも酷い。スガメの方が政治家だった」と、クリスティーナとその亡夫ネストル・キルチネル元大統領(1950-2010)を評したのだった。
ところが悪いことに、ドン・ペペはうっかりオフレコだと思った報道陣のマイクを通じて、この発言が巷に火花の様に忽ち広がり国際的な物議を醸したのだ。
数日後、ドン・ぺぺはかような自分の発言を誠に遺憾とし、心から謝罪を求めた。
クリスティーナ大統領はこれに対し、「確かに私は半ば気が狂った婆さんに違いありません。でも長生きし婆さんになれたのは、結局は幸いではありませんか? この長寿のお蔭で、国が求める幸福や福祉の為に、私は及ばずながらも尽くせたのは大変有難い事です。ご安心なさい。全ては何もなかった事にしましょう」と、クリスティーナはツイッターの社会面ネットワークで書き込んだ。
ドン・ペペは自分の放言の悪癖は、昔ツパマロス闘争の苦しい地下運動時代に身に付いた名残で、時にそれが突然「頭を擡(もた)げるのだ」と言い訳したのは冒頭で触れた通りである。
イスラエルに「集団虐殺」と非難
なお、今年の6月にはイスラエルの「ガザ回廊」への軍事侵攻は〃集団虐殺行為〃だとドン・ぺぺが評したのに対し、イスラエルのモンテビデオ駐在総領事Ron・Gerstenfeld氏は、いかにムヒカ大統領はイスラエルの事情に疎い無知で、かつ反ユダヤ主義者であるかを正に暴露したものであると非難し、両国間の微妙な外交問題になった。
しかしドン・ペペは「この問題で誰からもツベコベ難詰される筋合いはなく、現に我が内閣には三人ものユダヤ系閣僚がいる」と反論した。そして、この外交インパッセはこれ以上エスカレートすることはなく、問題は治まった。
これら一連の〃ぺぺ失言〃は、ムヒカ大統領には思わぬ舌禍事件を招いたが、その一方では大変人気になった次の様な語録も見逃せない。
例えば、「悪銭が大好物な政治家は、政界からトットと出て行って貰わねばならない」や、「私は貧乏ではない。貧乏なのは私が貧乏だと思っている心の貧しい人達である。確かに私は生活に必要最小限度の資産しか持っていない、しかし、それは私が裕福たるに充分な物資なのである」と言った具合である。
この好々爺大統領ドン・ぺぺは、自分の失言癖や放言癖は長年の投獄生活などの苦労に依るものだと述懐しているが、必ずしもそれだけの事ではないのでは。
というのは、スペインを宗主国とする朗らかなラ米諸国の一般の人達は元々軽口や冷やかしに長けた素質があり、余りユーモアを解しない日本人だったら直ぐに青筋を立てて怒り出し兼ねない悪口雑言を平気で言うのである。
ただ、ドン・ぺぺはそれを時と場合に依って応変に弁(わきま)えなかっただけの事かも知れない。
人気集め左派連合政党は連続3期目に突入
ドン・ペペの政治思想に対する個人的賛否のいかんはさておき、10月26日の任期満了に伴う大統領選の投開票が行われたが、得票率が過半数に至る候補者がなく、上位2人のタバレ・バスケス前大統領(74)と中道右派野党の新人ルイス・ラカリェ・ポウ下院議員(41)の決選投票が11月30日に実施された。
ウルグァイの憲法は連続再選を禁じているので、大統領のドン・ペペは立候補しなかったが、次期政権では再び国会議員に復帰する。
そして、全ての世論調査でタバレ・バスケス前大統領の当選は略確実だとの予想に違わず、当日(30日)は生憎の大雨の中だったが、予定通り大過なく行われた決選投票でバスケス氏が対抗馬のラカリェ・ポウ氏を凡そ55%対40%の得票差で破り楽勝した。
かくしてドン・ぺぺはこの前任者(2010年まで)だったタバレ・バスケス氏に憲法の規定に従い、来年の3月1日の新旧大統領の引継式で肩帯と権杖を再びバスケス氏に戻す事になった。
ドン・ペペやタバレ・バスケス氏が所属する拡大戦線・Frente Amplioは中道政党(1971年に結成)の大同連合政党は、2004年のタバレ・バスケス氏の大統領初の当選で与党になったもので、今回バスケス氏の二度目の大統領当選で連続三期の長期政権与党となる。
だが左派政党とは言ってもベネズエラの故チャベス大統領のボリバル革命思想に依る嫌米過激左翼勢力とは一線を画すものがあり、なおアルゼンチンのクリスティーナやブラジルのジウマ両大統領とも必ずしも常に歩調が一致する事はない筈である。
ラ米で最高の一人当たりGDP誇る経済に
ウルグァイはアルゼンチンと同じく、2002年の銀行危機の被害で経済が破綻したが、過去10年間(バスケス〜ムヒカ政権下)に財政は持ち直し三倍の成長を達し、貧困率は40%から10・5%に下がった(これは総人口約330万人の中100万人が貧困層を脱却した事になる)。
それで、失業率は19%だったのが歴史的な6・5%にまで減少した。
大豆の作付け面積は2005年は僅か27万8千ヘクタールだったのが現在は120万ヘクタールに増反した。
水力発電を除く再生可能エネルギーは2004年のゼロ台から現在の30%に成長していて、市民の消費光熱料の値下げを来たし、2016年にはウルグァイは世界で風力エネルギー生産のリーダー国になる事を目指している。
なお、バスケス及びムヒカ両政権が誇れるのは、ウルグァイの国民一人当たりの国内総生産(GDP)をラテンアメリカ諸国中で最高の16・834ドルに増進させた実績である。