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【特別コラム】井上祐見という不思議な歌手

日本歌謡史初の移民の演歌か『ソウ・ジャポネーザ』

 井上祐見(31、愛知県豊橋市出身)というのは、不思議な演歌歌手だ。
 日本ではほとんど知られていない演歌歌手(失礼!)だが、ブラジルおよび南米の日系社会では相当に有名な存在だからだ。今年の7月にも1カ月間、9度目の南米公演をしたばかりだ。特に6年前から歌っている、移民の心情を歌ったオリジナル曲『ソウ・ジャポネーザ』(私は日本女性)は、こちらではすでに不動の地位を得たといっても過言ではない。
 なんども地方の日系集団地のコンサートをみた。この曲を聞きながら涙ぐむ移住者や二世、三世の姿をみて、取材しながら、もらい泣きしそうになったことが何度かある。
 こういっては元も子もないが、おそらくなんの商売上のメリットもないのに、彼女はかれこれ9年間もブラジルに通っている。しかも、マネージャーまで連れて、だ。ブラジルを中心に南米各地で公演を行っているが、すべて無料だ。交通費や宿泊代などの旅費諸々こそ、ブラジル国内の支援者が負担しているが、日本に持ってかえる営業的な利益はない。それでも、毎年やってきて1カ月間、たっぷり歌っていく。まるで、深呼吸をしにくるようだ、と思ったことがある。
 なぜ、営業上のメリットもないのに毎年くるのか? 本人に尋ねると、デビューした21歳の時、たまたまNHKのど自慢がサンパウロ会場から中継されたのをテレビで見た。その時に、たくさんの老人が会場にいるのに驚いて、「こんなおじいちゃん、おばあちゃんのために歌いたい」と思ったのがキッカケだという。それでマネージャーに相談し、なんのつてもないところから、その年にいきなりブラジル公演を果たした。
 人生最初の外国がブラジルだというからあきれる。本人を見ていると、とてもそんな情熱的な行動をするタイプには見えないから、よけい不思議だ。イグアスの滝、アマゾン川ツアー、リオなど名だたる名所はいっぱいあるが、計9カ月間(各1カ月間×9回)もいるのにも、ちっとも観光地へ行かない。8回目にしてようやくサンパウロ市内のショッピングセンターに買い物にいったと喜んでいた。とことん移民の前で歌うのが好きなのだろう。
 日本での営業として各地のイベントなどで歌ったりするが、彼女の知名度ではせいぜい30分歌う時間をもらえればいいほうだという。でも、デビューしたその年から、ブラジルでは2時間半、長いときは3時間もの長丁場のステージをこなしてきた。
 「コロニアが育てた演歌歌手」と形容されるゆえんだ。
 9年前、彼女に対しては内心、「ああ、また日本から売れない歌手(失礼!)が来たな」程度にしか思っていなかった。なんのメリットもない日系社会での公演になんて、どうせ来年からはこなくなるに違いないと。だから、最初の頃はそれほど記事にもしなかった。事実、そのような類の通り過ぎていく例は多い。
 しかし、なぜか彼女は毎年来た…。3回目に『ソウ・ジャポネーザ』というオリジナル曲をわざわざ作って持ってきたと聞き、なんと物好きな(失礼!)歌手がいたものだと思い、来伯6年目を過ぎた頃から、これは一時の気まぐれで来ている訳じゃない、と考え直しはじめた。
 しかも、このころから、日系社会の芸能界では重鎮たる丹下せつ子さんや花柳龍知多さん(日舞)が、井上祐見の公演で歌に合わせて踊るようになった。毎年、浅草公会堂の座長公演に参加しているあの丹下さんが、と驚いた。コロニアで認められた、ということだろう。
 今年もパラナ州都クリチーバ公演を取材したが、開幕直前まで鼻炎でハナをすすっているのだが、歌い始めると不思議なことにピタッと止まった。見事なものだな、と思った。公演の時以外、本人はいたって寡黙だ。マネージャーばかりがしゃべっているように見える。でも、今年から少し違った様子を見せはじめた。本人もしゃべるようになってきた。そして、移民百周年であると同時に、彼女のデビュー10周年でもある来年は、第一回移民船の名前から取った新曲『笠戸丸』をひっさげて帰ってくる、と宣言した。
 遅まきながら、ようやくエンジンがかかってきたのかもしれない。
 『ソウ・ジャポネーザ』が神戸港を出航した移民船の様子を歌った曲なので、その続編となる新曲では、移民船を降りて上陸する時の不安な気持ちや、最初の入植地に配耕された時の辛かった体験や思い出を歌詞の内容にちりばめたい、という。さらに続編を作って、アルバムまでできれば、との話まで今年はでてきた。
 マネージャーによれば、日本国内ではほとんど『ソウ・ジャポネーザ』を歌うことはないという。それはそうだ、と思う。歌詞を見ても、移民生活を知らない人に、どこまで行間に込められた心情が理解できるだろうかと疑問に思う。逆にいえば、それゆえ日系社会で受けているのかもしれない。
 かつて移民のことを歌った曲は、ほとんど日本にはなかった。少なくとも有名になってカラオケで歌い継がれているような曲はない。もちろん、日系社会の内部では延々と繰り返し移民の歌は作られてきたが、日本で陽の目が当たることはなかった。
 かつて100万人もの日本人が海を越え、日本の近代史からは忘れ去られた。ブラジルだけで25万人だ。政令指定都市の全人口まるごとが外国へ渡った勘定になるにも関わらず、その行為が歌として民衆の記憶に定着することはなかった。
 なぜだろう。
 井上の独特なところは、日本歌謡史上かつて存在しなかった〃移民の歌〃を、移民に向けて直接発信している点だ。しかも、ハングリーなオーラを周りに感じさせない彼女らしく、本人はいたってその独自性を意識せずに自然に、淡々とやっている。
 当初から外国に向かって作られた最初の演歌であると同時に、欧州や北米でも深刻に議論されている移民労働者という存在に関して、日本という立場において初めて真っ正面から取り組もうとした演歌とすらいってもいいかもしれない。
 なぜ、今まで日本では移民の歌が作られてこなかったのか。そして、移民の歌は日本国内で評判になることはあり得るのか。今後の展開が興味深い。
 ブラジル日系社会とその百周年が縁で、日本で多少なりとも注目されることがあれば、それはまさしく〝コロニアが育てた歌手〟である証左だろう。
 マネージャーの承諾を得て、ここに『ソウ・ジャポネーザ』のMP3データを置くことにした。
 聞いてみたら、なんだ、ただの演歌じゃないかと思うかもしれない。しかし、そのただの演歌、移民の演歌が歌われなかった意味を、曲を聴きながら涙ぐむ人たちの心情をぜひとも考えてみて欲しい。いずれにせよ、日本のみなさんにとってはレアな曲に違いない。自由にダウンロードして聞いてみてほしい。

ニッケイ新聞2007/08/06 (深)

『ソウ・ジャポネーザ』 井上祐見
 作詞 国谷幸生/ 作曲 藤山節雄

(台詞)
 1908年4月28日、ブラジルを目指し、笠戸丸が神戸を出港しました。それが、ブラジルへの移住の始まりでした。

(歌)    1
 移住坂を登れば 神戸の街並み 海の向こうは 異国の空よ ドラが鳴る別れの メリケン波止場は なみだ黄昏 いつか戻ると 心に誓う エウ ソウ ジャポネーザ いつまでも エウ ソウ ジャポネーザ 忘れない あの日誰もが 胸に抱く 希望の船出 熱き想い

      2
 サザンクロスが光れば 日本は朝です 父と母との ふるさと遥か 私にも流れる 大和の心は 何を教える 海の彼方の 見知らぬ国よ エウ ソウ ジャポネーザ いつまでも エウ ソウ ジャポネーザ 忘れない いつも心に 抱いている 白地に紅く 燃える想い

(台詞)
 だんだん日本が遠くなります。でも、やっぱり、やっぱり日本が大好きです

(歌)    3
 今頃なら桜が きれいでしょうね 北の山では 雪解け近い 父母の言葉を 聞いては夢見る めぐる季節よ 春の訪れ やさしい風よ エウ ソウ ジャポネーザ いつまでも エウ ソウ ジャポネーザ 忘れない 清く正しく 美しく 日本の心 永久(トワ)に生きる

“Sou Japonesa”

ijyuuzakawo noboreba koobeno matinami
umino mukouwa ikokuno sorayo
doraganaru―wakareno merikenhatobawa
namidatasogare itsukamodoruto kokoronitikau
Eu sou japonesa itumademo
Eu sou japonesa wasurenai
anohi daremoga muneni idaku
kiboono funade atsuki omoi
2
sazan―kurosuga―hikareba
tititohahatono furusato haruka
watashinimo yamatono kokorowa naniwo oshieru
umino kanatano mishiranu kuniyo
Eu sou japonesa itumademo
Eu sou japonesa wasurenai
itumo kokoroni daiteiru
shirojini akaku Moeru omoi
3
Imagoronara Sakuraga Quireideshoune
Kitano Yamadewa Yuquidoque Tikai
FubonoKotobawo Kiitewa Yumemiru Meguru quisetuyo
Haruno―otozureYasashii kazeyo
Eu sou japonesa itumademo
Eu sou japonesa wasurenai
Quiyoku―tadashiku utsukushiku
Nihon-no-kokoro towani-ikiru