グルメクラブ
10月31日(金)
巷のギャラリー、美術館では展覧会がたけなわ。サンパウロでは九月から十一月が芸術シーズンとなる。
鑑賞帰り、エスタドス・ウニドス街とアドッキ・ロボ街の角にある「ガレリア・ドス・ポンエス」に立ち寄ってみるのも一興。ここの名物は三十種近くもあるサンドイッチ。
そのひとつひとつに古今東西の画家たちの名前が付けられているのが出色だ。ブラジル人画家では間部学、ヴォルピ、アルデミール・マルチンスら七人が確認できる。
「芸術と料理は同じ特質を追求するという一点で一致する」。ここで美食家として知られた画家ロートレックの言葉を思い出そう。偉大な芸術家の名前であればこそ、また食欲もそそろうというものだ。
この七人のブラジル人画家を「グルメ」という視点から判断するならば、今年生誕百周年を迎えたカジード・ポルチナーリが筆頭にある気がする。カフェザールの絵や国連に飾られる壁画「戦争と平和」で有名な画家だ。
四千六百点以上の傑作を残したその活力の源は、日曜日のマカロナーダと上質なフランス産ワインにあったというのは本当らしい。
サンパウロ州モジアナ線の田舎町ブロドスキ生まれ。貧しい家の出だったが、十五歳からリオで学び画才を認められる。二八年からの二年間、欧州に遊学しピカソら当代一流の作家の知遇を得、キュビズムやメキシコの壁画運動に感化される。三一年から三二年にかけてブラジルに滞在した藤田嗣治との親交も、その作風に影響を与えた。
リオではコパカバーナ海岸の目の前アトランチカ通り九百番に住み、タバコはダンヒルのハーフ・アンド・ハーフ。ワインはシャトー・ヌフ・ド・パフのヴィンテージと高級志向だった。一方で、故郷ブロドスキ時代の貧しさを忘れたことはなく毎年ナタールとカルナヴァルの間には帰省していた、という。左翼主義者で議員選挙に出馬したり、ファヴェーラや東北伯の貧困を題材に取る社会派の一面もあった。
そんな画家が生涯大切したのがイタリア系移民としての風習だった。毎週日曜日に一家団欒で囲むマカロナーダだ。ポルチナーリ好みのレシピは次のようなものだった。
《キューブ状に切った赤身の肉とリングイッサをからっと焼き上げ、ニンイクとタマネギを加えて炒める。ローズマリーとロリエで風味付け、完熟トマトと一緒に煮込む。ここで赤ワインを加えるのを忘れてはいけない。パスタはタリアリーニ。茹で上げた後はバターを絡めて》
甘味ではイチジクやカジュを煮詰めたものに、カトゥピリのチーズを添えた一品がお気に入りだったとか。こうしてブラジルらしい素朴な味も同時に愛した彼だからこそ、本を読むときはナポレオンのブランデーというフランス趣味も嫌味にならずエレガンスに決まるのだ。