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食の話題=サンパウロ市に受け継がれる=日替わり定食の伝統

グルメクラブ

2月20日(金)

 サンパウロ市旧市街、サン・フランシスコ広場そば、ジョゼ・ボニファシオ街二七〇のレストラン「イタマラチ」は「文壇レストラン」としての顔を持つ。
 現代ブラジル文学界を代表する作家リギア・ファグンデス・テレス氏を囲む会が度々開かれている。女史は広場に建つ司法大学の卒業生で、その文壇には後輩生徒たちが集う。
 「イタマラチ」は店内の雰囲気にもメニューにも、古き良きサンパウロが香るレストランである。旧市街にいま文学の似合う、こうした老舗はサン・ジョアン通り一二八の「グァナバラ」、リベロ・バダロー街三一六の「リリコ」をわずか残す程度となった。
 「イタマラチ」ではサンパウロ市の名物、日替わり定食を薦める。時が巡り時代が動いても変わらない味は見事である。文壇はそこに文学の本質を見、われわれは金と敬意を払う。
 日替わり定食の献立は普通どこでも、月曜日「ヴィラード・ア・パウリスタ」▽火曜日「ドブラジーニャ」▽水曜日「フェイジョアーダ」▽木曜日「鶏肉とパスタ(ニョッキ)」あるいは「ラバーダとポレンタ」▽金曜日「フィレ・デ・ペスカーダの小エビソース」や「バカリャウの煮込み」といった魚料理▽土曜日「フェイジョアーダ」――となっている。
 日曜日は多くの食堂が休業なので、ここに含まなかったが、昼食ならイタリア料理のカンチーナに行き、山羊の肉を添えたパスタ。夕食はピッツアリアでカラブレーザかモツァレラ・チーズのピザを食べるのが市民の定番であろう。
 日替わり定食の始まりは意外に古く、十七世紀、ポルトガルにすでにみられたそうである。一六八〇年に刊行されたポルトガルで最初の料理本にも記述される。三百年前から伝承されるメニューはひとつだけ、金曜日の魚料理である。
 カトリック信徒は金曜日の肉食を避ける。その日、キリストが十字架ではりつけの刑に処せられ「出血多量」で死んだ、とする説が信じられているせいだ。肉食の民ではあるが金曜日に限ってそれを忌み嫌う習慣だけは忠実に守る。
 ここ百年の間に市民の嗜好はどのように変わっただろうか。ある時代考証家は、十九世紀末、サンパウロ市の中産階級の一般家庭でみられた代表的な献立について次のように書いている。
 月曜日「ローストビーフ」▽火曜日「エビとシュシュ」▽水曜日「肉・野菜の煮込み」▽木曜日「牛フィレ肉料理」▽金曜日「白身魚かバカリャウ料理」▽土曜日「鶏肉料理」▽日曜日「豚か山羊の肉を使った料理」―と、現代の食卓よりもなんだか豪勢に映る。
 レストランが街の随所に現われるようになるのは二十世紀、サンパウロ市が空前の経済発展を遂げ、仕事に追われる男たちが昼休みに家に戻る暇を失って以来のことである。それは、不足する工場労働者を補うため数多のイタリア移民が駆り出された時代とほぼ重なっている。
 当然の如く、日替わりメニューには宗主国であったポルトガルの料理文化の影響が色濃いが、唯一、木曜日のパスタやニョッキ、ポレンタなどはイタリア由来の食文化である。
 日本料理の存在感が増しつつある。いつの日か、金曜日の「焼き魚、味噌汁、漬物」定食が普及するときが来るだろうか。