ホーム | アーカイブ | サンパウロ お国自慢料理=明晰、だが淡い食後感=台湾スープの奥ゆかしさ

サンパウロ お国自慢料理=明晰、だが淡い食後感=台湾スープの奥ゆかしさ

グルメクラブ

3月19日(金)

 近代的な雑居ビルの狭間に一分の隙なくテントがたっていた。色鮮やかな果実や生きた禽獣が売られている。南国のにぎやかな市場、路地裏の風景だ。
 見上げれば夕立をはらんだ空。風は切なくもある夏色だった。数メートル前を凛と歩く女性の赤いワンピース姿が異邦人の目にやけにあだっぽく映った。
 じきに市場を抜けると女性は消え代わりにビンロウを売る店が現われた。路面に赤い染みがぽつぽつみあたる。だれかがビンロウを噛んで吐いたその跡であると知ってはいても、不思議に魅惑的で、薄味の台湾ビールを買い求めるとしばらくそれをながめていた。
 ソーメンのような「麺線」や「台湾風おでん」が湯気を上げている屋台がある。藍色の制服を着た女子学生が屋台を囲んでいる。「牛乳大王」と大きくかかれた看板は、どうやら「パパイヤミルク」を名物とする店の目印らしい。その「大王」も、そばにあるカラオケボックス、米国系ファストフード店も、若者たちの熱気で一杯だ。
 ――七年前、台北に行ったときの記憶でも、視覚的なものであればこんな風に自然と思い出せる。だが、記憶をさらにせり上げるとなると匂いや味覚の刺激が働かないと難しい。
 リベルダーデの台湾小吃屋にいる。目の前には「魚丸湯」。味をつけ忘れてないだろうかと疑いたくなるくらい、それは透明だ。しかるに口に含むと奥行きのある味わいが広がり意外の念を強くした。同時に、ゆくりなく記憶の引き出しが開く。「魚丸」(魚のすり身団子)は初めてだが、この湯(スープ)の匂い、味は七年前にも確か……。
 昼時の台北市街、ブラジルでいう〃ポルキロ〃のようなレストランで右往左往していると、初老の男性がにこりと声をかけてきた。
 「日本の方ですか」。日本語だった。「ここはスープが無料なんですよ。取られたらいい」
 男性の盆の上にあったスープをみれば、具らしきものは入っていない。汁も無色透明だった……。
 サンパウロの閑散とした小吃屋で、頭の中を台北の雑踏のにぎわいで一杯にして、あらためてその品をのぞきこめば、七年前の湯気がたちのぼっていた。のどの奥がごくりと鳴った。記憶の中でかつてのスープと重なったとき、やさしい日本語を話した男性の顔までよみがえってきた。
 〃プルーストのマドレーヌ〃を引き合いに出すまでもなく、触媒としての匂いや味は実に雄弁であると、いまさらながら思われた。
 ただ、これは私的に引き合うものがあった特別なケースで、滞在中の記憶をじっくり辿ってみても、その屋台に近寄ろうと幾度となく試みてはいつも踵を引き返すこととなった「臭豆腐」を別にすれば、台湾の料理でほかに強烈な印象に残るものは少ない。
 もし台湾料理を野球の投手にたとえるとしたら、剛球タイプでは決してないだろう。だがシュート、スライダー、フォークあるいはナックルさまざまな球種を持ち、緩急巧みにコーナーを投げ分ける投手であるということになる。
 台湾料理は中国・福建や客家系食文化を二大源流とする一方、中華料理の「五大菜」である北京、上海、四川、湖南、広東それぞれの料理からの水脈もそそと流れ込んでいる。ついで五十年におよんだ日本統治時代の影響もあろう。
 さらに持ち味をいえば、「魚丸湯」もそうだが、明晰な味つけでいながらもきわめて淡々とした食後感を残すところだろうか。
 知り合いの台湾の方に教わって代表的な料理という「切干大根入りオムレツ」を作ってみた。味は確かに親しみやすいがなんらかのソースがなければあっさりしすぎているとの気分を抱いた覚えがある。軽い味の料理が好まれるのは台湾が年中高温でしつこい味を避ける傾向があるせいに違いないのだが……。
 小吃屋で「魚丸湯」と一緒に注文した「牛筋」(牛アキレス腱の煮こごり)もまたそのように描写できる味だった。「明晰だが淡い」料理が二品つづき、最後に「牛肉麺」を取った。これもまた同じ類の味に入るのだろうか、との予断を抱いた。
 風味の輪郭が濃厚と薄味のあわいにあるという点でその予断は当たっていた。けれども、「牛肉麺」には別な味の世界が広がっていて心を動かされた。
 漆黒のスープにまず驚かされる。牛肉でだしを取った醤油味だと思われるが甘いようで甘くなく、塩気があるようで塩気がない。すべてが抑え目でいながら、そこしかないという絶妙な調味で仕上げられているというべき甘辛い味なのだ。
 スープの色ひとつ例にあげても「透明」と「漆黒」という天と地ほどの差がある。その間に台湾料理の深みと幅の広さがあると分かる。そうはいっても一回の食事にスープを二品も味わうのはだれにとっても好ましいことではないだろう。
 だが、飲み終わってささやかな幸福感で満たされたのは、いずれも日本人に親しみやすいが異邦の味であるという「奥ゆかしさ」によるものかもしれない。
     ※
 台湾料理を味わえる店は少ない。機会は限られるが台湾系教会の慈善バザーに出かけてみる手がある。告知のポスターが東洋人街の商店に貼られる場合も。