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パナマを越えて=本間剛夫=2

 なかには永住の覚悟で大農場の農夫として汗を流している知人、友人が、グループを組んで戦争に参加するというニュースを邦字新聞で知らされると、自分は卑怯者ではないかと強くさいなまれたが、それでも固く瞼を閉じて耐えた。
 翌年、満十九歳になったとき、私は在外の男子に許されている三十七歳までの徴兵延期願いをサンパウロ市駐在の日本総領事宛に提出した。

 店長の高圧的な口ぶりにむかつきながらも、心の隅では、突然湧き出たチャンスに心が揺れ始めた。私は日本を出る時から永住の覚悟だったのだ。
 少年時代から小作人たちの貧しい暮らしを知っていたので、遠い昔からつづく地主という境遇に不満を抱き、その殻から抜け出したかった。
 それでも、降って沸いたような帰国という現実を目の前にすると、奇妙に郷愁の思いが沸いた。
 杉の大木が昼なお暗く街道を覆っている日光街道に沿う郷里の村里、日光、那須の雪に光る連山、小鮒やどじょうをすくったせせらぎ、広いれんげ畑の中をけたたましい響きをあげて浅草と日光、鬼怒川を走る東武電車が脳裡に浮かんだ。
 店長室を出ると、まだ誰も出勤してない事務室を早足で出て下宿に帰った。下宿はドイツ人経営で、十人ほどの、地方の資産家の息子や娘の学生が占めていた。私も彼らと同じく学生時代からの下宿だったが、主人夫妻の希望で、卒業後も引き続き学生たちの仲間に入っていた。
 彼らは朝のコーヒーをとっていたが、声をかけると話し好きの彼らにつかまるので「お早う(ボン・ジーア)」と言っただけで、まっすぐ夫妻の部屋へ入って日本行きのことを告げると、老いた夫妻はもう涙ぐんで、私の手をとって「早く帰ってくるんですよ」と繰り返した。
 夫妻には子供がなく、遠い日本から来ている私を息子のように扱っているのだ。
 私は日本から持って来た古びたトランクに衣類や書籍などを詰め、それから、土産物をと街の中心に出て、手当たり次第に民芸品を買い込んだ。
 サントス市街は約一キロの湾曲した入り江に添って細長く伸び、中心地にはどこの町とも同じようにデパートや銀行、官庁などが並び、その背後には海抜八〇〇メートルほどの海岸山脈が聳え、内陸からの風は険しい山波にさえぎられて弱まり、海風が無ければ、殆んど無風状態の蒸し風呂の暑さになるが、遠浅の海は波も静かで市民は海水浴を楽しめる。
 土産物といっても豊富な種類があるわけではない。丹念に刺したテーブル・クロスやポンチョ、素焼きの人形や壷などで、これらの素朴な民芸品を除けば、きらびやかな輸入品ばかりで、ブラジルの歴史や民衆の生活に興味がなければ、何の価値もないガラクタに過ぎない。
 勢い込んで買い集めた土産品を両腕一杯に抱えて歩くと、もう汗だくになった。「こんなガラクタを、日本の誰が喜んでくれるのだろう・・・」。ふと悲哀の混じった、ほろ苦さが胸をよぎった。
 原色の、何の変哲もない素焼きの膚が私の好みなのだ。それは十一年の生活が、ブラジルに溶け込んだ証なのだった。自分は、もうブラジル人になりきっているのだという、いとおしい思いに浸りながら下宿に急いだ。
 最近舗装したばかりの大通りは、十時を過ぎると、陽が照り返して暑さが倍加する。
 下宿についてすぐシャワーを浴びた。自然に鼻唄がでるのは、やはり日本の土が踏めるという嬉しさなのだろう。
 身支度をしていると、店長から電話で、支度ができたら車を廻すという。店長の、いつにもない早口だ。
 無造作に荷物をトランクに詰めて外に出ると、間もなく車が来た。