日本で出版された木村快著『共生の大地アリアンサ~ブラジルに協同の夢を求めた日本人~』(同時代社)のポ語版『Aliança a terra da cooperação』が、ニッケイ新聞社から出版された。日系社会の中でも特異な歴史を持つアリアンサ移住地の歴史を紡いだ同作品の感想を、アリアンサと深い関係がある関係者に聞いてみた。
山内淳(83、二世)。第3アリアンサ、渡辺農場生まれ。91年から99年にかけて二世初のサンパウロ市文協会長となる。輪湖俊午朗が建設に尽力したアルモニア学生寮の評議員なども務める。
―読後の第一感
「当時の日本の政治とアリアンサの関係をこれほどしっかり調べて、結びつけた人は今までいないんじゃないかな。凄い仕事だと思う」
―印象に残っている所は?
「当時の内務省が推し進めた一県一村運動について。日本の各県がブラジルに5千ヘクタールずつの土地を買って200家族を入植させる計画だが、そんなことしてブラジルが黙っているはずないでしょう。このほかにも日本の内務省がどれだけ移住の妨げになったかがわかるようになってる」
「あと輪古さんの書いた『移民50年史』の行方がわからなくなっていることは、僕も非常に惜しいと思う。輪湖さんが移民のためにした苦労はどれほどか分からない。50年誌を最後に持っていたのは、ブラ拓(ブラジル拓殖組合)創設者の宮坂国人さん。」
「ブラ拓は内務省の出先会社みたいなものだから、政府関係者の悪口が出てくると宮坂さんも世に出しにくかったんでしょう。今は宮坂さんも亡くなってしまって、そういった話を持っていくところも無くなってしまった。」
―気になった所は?
「書中の『アルモニア関係の書籍の何処にも輪湖の名前は見当たらない』という部分に関しては、訂正をいれたい。」
「木村さんの著作と同年にアルモニア学園が刊行した『アルモニア60年誌』の中には、輪湖さんが同校の建設のための寄付集めに大きな貢献をしたと書かれている。過去の記念誌にも輪湖さんの名前は出ていたと記憶してます。」
大井セリア(64、三世)。サンパウロ市文協広報コーディネーター。移民資料館館長を9年務め、過去には日伯毎日新聞社で記者を務めるなど日系社会に精通した人物。日伯毎日新聞創設者・中林俊彦の息子と結婚し、弓場勇とは家族ぐるみの付き合いがあった。
―読後の第一感
「木村さんの仰るとおり、公的機関が移民史を書く時、アリアンサについては、あまり触れられてきませんでした。本当の歴史を知る上では、公的資料以外の研究がとても重要であることが改めてわかりました。」
―印象に残っている所は?
「弓場農場の人々の生き方について。移民の目的は、デカセギと同じでお金を稼いで国へ帰ること。でもアリアンサの人々はもっと面白い夢を持っていた。木村さんは弓場農場の人々が居た事を現代人に伝え、お金だけを目的とするだけじゃない、文化を大切にする生き方があってもいいじゃないかということを提示したかったのではないのかなと思います」。
―伯語出版に関して
「日本の移民政策に関するポ語の本が少ないので、私達は公式な発表物の内容を繰り返すことしか出来ない。こうした動きが広がればいいと思います。」
吉岡黎明(78、二世)。第3アリアンサ出身。社会福祉家。元救済会憩の園会長や帰伯労働者情報支援センター(NIATRE)の会長を務めた。
―読後の第一感
「この本からは、永田、輪湖らの努力が伝わってくる。アリアンサの歴史はもっと調べなければいけない。アリアンサについての本は、たくさん出ているけど木村さんの本は、かなり詳しく書かれていると思う。」
―印象に残っている所は?
「アリアンサの組織としての手際のよさは凄い。土地を25ヘクタール毎に区分けし、そこには必ず小川が流れる様に工夫がしてある。連邦政府の開拓事業を見てもこれほどのものはなかった。例えば40年前に行われたアマゾニア東西横断道路敷設計画では、拠点となる場所に街が造られたが、アリアンサで見られた工夫や配慮はなかった。」
望月友三会長。 第1アリアンサ文化体育協会
「この本を読むと、先人が命を賭けてアリアンサを開拓したことが伝わってくる。アリアンサでは日本語教育を重視しているが、ポ語でも歴史が残ることは重要。先人に倣って我々も人生を開拓していかなければ。」
小原明子さん。舞踏家。プロ経験を生かし、弓場農場でバレエ指導を行う。
「この本からは、木村さんのアリアンサや弓場に対する愛情が伝わってきました。アリアンサでも日本語を読める人が少なくなってきています。うちの子も日本語は読めますが、それでも原書は読むのが大変なようで、ポ語版を欲しがっていました。これで若い人にも歴史が伝わっていくと思います」
市川利雄ありあんさ郷友会代表。富山県人会長。
「私は両親からアリアンサについて話を聞いて育ちましたが私の知らないことがこの本には沢山ありました。私は1956年に第3アリアンサを開拓した松澤謙二さんに会った事がありますが、とても疲れた様子でした。」
「この本を読んだ後、彼の人生がいかに困難だったかということについて、私は改めて思いをめぐらせました。母県の助けのないなかで、同胞の助けを求める声に応えられなかったことは辛かったと思います。」
「この本はアリアンサだけでなくペレイラバレットやバストスなどの移住地の子孫も読んで欲しいです。そして、教育の価値やブラジルの日本人コミュニティの貢献の精神について学んでもらいたいです。」
ポ語版出版にあたって=原著者 木村 快
本書を日本で出版する際、心の片隅では、将来ポルトゲースに翻訳されて日系人に日系移民史の骨格をつたえることができればという夢を持っていました。しかし、自分の生きている間にそれが実現するとは思っていませんでした。ニッケイ新聞社、および深沢氏の尽力に感謝しています。
わたしの母方の大叔父一家は、バストス移住地が開かれた1930年に同地へ移住しています。わたしは1978年にその消息をたずねてブラジルへ渡り、3カ月ばかり日本人移住地を訪ね歩きました。そのとき以来、日本政府の移民政策についての資料を見つけることができず、気になっていました。
ブラジル文化は先住民を含めた多くの移民たちの文化を融合して築くのだと聞いています。ではブラジル文化の一角を築く日系人はどのようなアイデンティティを持って参加するのかが気になりました。
ブラジルは世界最大の日系人居住国でありながら、送り出した日本側にはブラジル移民の歴史を研究する専門家がいません。日本の敗戦時、連合軍に実態を知られぬよう、海外植民地資料、移民資料をひそかに廃棄したためです。以後、日本の歴史学は送り出した移民の歴史を扱いません。
現代座は1994年の演劇『もくれんのうた』ブラジル公演で、多くの人々から「自分たちのことを忘れないで欲しい」と手を握られ、あらためて移民政策の実態を調べたいと思いました。以後、NPO事業としてアリアンサ・ユバ農場と協同で移民資料の調査をはじめました。それからもう20年になります。
現場からの視点で追求してきたものですから、学術的にはきわめて不十分なものです。日本側に専門家がいないのなら、せめてブラジル人の手によって不十分な点を補うきっかけにしてくださればと願っています。