「だから、そのダイアはブラジルのものではない。英国のものだ。それを日本がブラジルの軍部に手を廻して買い取ったんです。ブラジルは、かつて日露戦争の時に小さな巡洋艦を日本に譲ってくれたことがある。ブラジル海軍にとって、それは「掌中の玉」だったんです。昔からブラジルは日本の政体に興味と親しみを抱いている。巡洋艦、これも英国製ですが、これを日本に譲ったからロシアに勝ったと信じている。ブラジルはそういう国です」
私は初めて納得した。深い疑惑の霞が薄らいだ思いがした。
「詰まり、このダイアは英国から横奪、ということですね」
「横奪……まあ、そういうことでしょう。本当の持主である英国が知らないのだから」
船長は葉巻の煙を吐きながら苦笑した。
「このダイアは、どうするのですか」
「航空機と計算器、水晶は電信機用です」
これも私には初耳だった。私は十一年間、日本を離れていた空白が空しかった。日本について何も知らない……。その時、ふと、疑問が湧いた。
「非合法で持ち出したダイアは、第三国に知られるのは、まずいことですね」
「勿論! ですから、あなたは、それを体から離してはならない」
「さきほど、船長がおっしゃった万一の場合、というのは、どんな時なのでしょう」
「アメリカによる拿捕です」
船長は葉巻を灰皿に強く押しつけて、私を見据えた。
「拿捕? 戦争でもないのに……」
「アメリカは今年に入ってから、もう二度も日本船を拿捕している。お互い臨戦態勢ですよ」
私はもう、喉が詰って声が出なかった。唾を飲み込んで口を開いた。
「こんな大事な、むずかしいことを、なぜ、私のような若僧にさせるのでしょう」
船長は憐れむように、私の眼をじっと見つめた。
「腹を決めるんです。腹を!」
「私は何も知らずに乗ったのですから」
わたしは微かな声でいった。
「君、君は案外、往生ぎわが悪いんだね。だから君にはブラジルの旅券を渡してある。もし、君が取調べを受けてもブラジル人だ。本船の荷物と関係ない。密かにダイアを持ち出した密輸者じゃないか。日本人じゃない。あわてることなんかないよ」
私の脳裏を逮捕、拘留、処罰、送還などの文字が走った。そして、ブラジル軍部の困惑……。
船長は天井を睨んで堅く口を閉じていたが、間を置いて船長はいった。
「君と同年の日本人たちは大陸で戦っているんだよ。君も戦わなくちゃ……お休み」
船長は立ち上がった。船長は明らかに私を軽蔑していた。
部屋に戻ると、コーチが寝ていた。私はシャワーを浴びてベッドに横になった。
機関部からカンカンと規則的な響きが体に伝わった。それは船の心臓の鼓動のように眠気を誘った。……なるようにしかならない。諦観が次第に体全体に蓄積され、膨らんでいた。胸が鎮まり、いつか眠っていた。
翌日、眼をさますと、もうコーチはいなかった。時計が八時を指していた。急いで身支度して食堂にいくと、私だけの席が空いていて船長が笑顔で迎えた。