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パナマを越えて=本間剛夫=19

 その船も貨物船で日光丸よりも一回り小さく六千トン級らしかった。私は奇妙な感じにかられた。外国の領域で敵、味方が、何のわだかまりもなく、順番を待っている。此れが現実なのか。現実に厳然として実在する光景なのか。戦火を交えているお互いの国の、おそらく敵も軍需物資を満載している船の船員同士が、全く自然に眼前にある。その矛盾、不合理が、ここでは当然のように実在する。
 その船の甲板には警備兵は一人もおらず、数人の甲板員がロープを巻いたり、工作機械を磨いたりしている。この現実の中に不合理が合理として存在する。この風景を誰が分析し解くのだろう。人間と人間が殺し合う戦争こそ不合理ではないのか。この不合理を正当づける世界こそ倒錯ではないか。しかし、この世界を作っているのが人間だと考えると、無限の底知れぬ人類の無智なのだと覚らざるを得ない。
 ロープを巻いていた若者が私を見て手を振っているので、私も笑顔でそれに応えて両手を高く揚げて左右に振った。すると若者は跳び上がって手を振り続けた。
 言葉が通じるなら、何か叫んでやりたかった。その時、痛いほど戦争のくだらなさが頭を満たした。
 それから私はへさきへ廻った。そこにも二メートルほどの間隔でカービンを抱えた兵士が並んでいた。へさきの後ろに小さな漁船が船体を斜めにして岸壁につながれていた。赤茶けた日章旗をおろした日本の船だ。せいぜい五、六百トンだ。ハッチの上で数名の少年のような船員たちが鉢巻をして花札を楽しんでいるのが見えた。運河通過までの時間をもてあましているのだろう。
 その時、隣の漁船の繰舵室から将校服の背の高い米軍人の姿が現れ、その後から船長らしい男が出て来た。私は、おやっと思わず叫ぶところだった。その男はコーチに違いない。距離三十メートル、ゆっくりがに股で歩く、肩幅の広い後ろ姿は、まぎれもなくコーチだ。コーチは漁業家だったのか。
 食事を知らせるベルが鳴った。時計は八時を過ぎたばかりだ。食堂には機関長と電信長がいて、船長とパーサーは警備隊の応待で、もう食事は済んだという。
「コーチさんは?」
 二人に質(たず)ねると、今朝、早く下船した。ここで急用ができたらしいと伝う。

 やはり、あれはコーチだったのだ。私は不可解な人物のことには触れず、食事をとった。二人との会話はなかった。この緊張した状況の中で、なぜコーチは下船したのか。日本へ商用で行く筈ではないか。食事が終わった時、私は堪らなくなって二人に云った。
「こんな状況で、コーチさんは日本へ商用と云うのは、どんなことでしょうね」
「さあ……?」
 二人の口から同時に言葉にならない答えがはね返った。私には、やはり不自然に聞こえた。確かにあれはコーチだった。小さい漁船の船長だからこそ、カリブ海に注ぐ川や島々に詳しいのだ。殆どのブラジル人でさえも遡ることはあるまいプラタ川にも日本漁船は獲物を求めて上下していたのだろうか。
 私は学生だった頃、何回かオリンプスの波止場に日の丸の旗をつけた漁船が、突堤に寄りかかるように停泊しているのを見ると、船まで行って日本食のご馳走になったり、若い船員たちを市街地見物に案内したことがある。しかし、それは土曜か日曜に限られていた。