アルゼンチンのクリスチーナ大統領らに対する容疑の調査を行っていた検察官が自宅で死体で発見されたことで、アルゼンチン国内が「政府による陰謀ではないか」と騒然となり、ブラジルを含む南米で強い関心を呼んでいる。19~21日付伯字紙が報じている。
18日夜(一部報道では19日朝)、アルゼンチンの連邦検察官アルベルト・ニスマン氏(51)が、ブエノス・アイレスの自宅アパートの浴室で死体となって発見された。遺体のそばからは22口径の銃が発見された。死亡したのは18日午後3時頃と見られており、発見は死亡から約7時間ほど後だった。
この事件は発覚直後からアルゼンチン国内で大きな騒ぎを引き起こした。それはニスマン氏が14日、クリスチーナ大統領やエクトル・ティエルマン外相らをイランと結んだ密約を隠蔽しようとした疑惑で告発しており、19日午後は下院でこの件に関する証言を行う予定だったためだ。
この「密約」とは、1994年にブエノスアイレス最大のユダヤ人街にあるユダヤ人協会本部を爆破し、85人を殺害したとして国際手配されたイラン人容疑者を処罰しないことを前提に、アルゼンチン政府がイラン政府と穀物と肉類の輸出ならびに原油価格の値下げ交渉を行っていたとされるものだ。
2004年から爆破テロ事件の担当をしていたニスマン氏は、捜査の過程でクリスチーナ大統領、ティエルマン外相、カルロス・メネム元大統領が、妨害行為を行っていたとも主張していた。
ニスマン氏の死に関し、クリスチーナ大統領は「大変驚いている」としながらも、「何が彼をこのようなひどい人生の幕切れを行う決断をさせたのか」と、同氏が自殺をしたかのような言い方を行った。同国政府も「自殺説」を強く主張している。
だが、ニスマン氏の死体を発見した実母は現場にあった22口径の銃は同氏のものでないと主張しており、遺書も残されていなかった。さらに検察の調査結果、ニスマン氏の手には銃弾による火薬の痕(硝煙反応)が残っていなかったとの判定結果も発表された。
ニスマン氏自身は死の4日前、クラリン紙に対し、「(大統領らに対する告発を行ったことで)私は死んでしまうかもしれない。私の人生は今日で変わった」と語っており、同氏が暗殺を予期していたことを伺わせる。
また、発見が死後約7時間と大きく遅れたこと、ニスマン氏には護衛が10人いたのに、死亡現場となった13階の自宅アパートの前には誰もいなかったなど、疑惑は多い。
アルゼンチン国内では、ニスマン氏の死が報じられて以来、「私はニスマン」とか、1月19日を意味する「19E」と書いたプラカードを掲げた人々が各地で抗議行動を繰り返している。
この事件は大統領の絡んだ謎多き事件として南米中のメディアで取り上げられ、ブラジルでも連日のようにテレビやラジオのニュースの話題を独占している。