「私は中南米の人間に、もっと魚を食べさせたい。特に海のないボリヴィアのチチカカ湖を大きな漁場にして、アンデス人に食わせる。チチカカを鱒の大養殖場にする。君、ボリヴィア人の平均年齢は三十六才だ。動物蛋白がとれないからだよ。アンデスのチンチラは世界一の防寒服になるが、その肉は知れたもんだ。いくら毛質がいいからといって、毛は食べられんからね。海抜平均四千メートルのアンデスでは羊も山羊も繁殖させるのはむずかしい。鱒が一番いい」
なるほど、と私は頷いた。
やはりコーチは漁業家だった。だが、なぜ、白昼堂々と行動しないのか。私の疑いは晴れない。コーチが饒舌にしているチャンスに、彼の生い立ちからの素生を聞こうと考えたが、彼はまだ盃を傾け続けていた。
翌朝、彼は元のコーチに戻っていた。何か話しかけようとしても鋭い眼と唇が拒んでいた。
日本丸は右舷に大陸の山脈を望みながら北西に向けて航海をつづけた。パナマを過ぎて六日めの朝、メキシコ北端の小港エンセナーダに入った。そこは海岸から五キロ入った奥まった幅五十メートルほどの細い運河のような海峡にあった。両岸は平坦でちょろちょろと瘠せた潅木がまばらに生え、水際だけにマングローブが茂って、岸の土塊が崩れるのを防いでいるように見えた。雨量が極度に少ないために、砂漠の風景が広がっていた。
いつの間にか傍らに立っていたコーチがいった。
「ここは雨が少ないから良質の棉がとれる。火薬のの絶好な原料だ。あとで上陸しよう。案内するよ」
こんな辺鄙なところまでコーチは知っている……。
ますます彼が分らなくなった。コーチの名が高知県の高知だということに、彼の誕生の秘密を考えた。ボリヴィア開拓に移住した日本の若者たちが、殆ど現地人をめとったということを聞いたことがあるが、彼の父もそうだったのだろうか。その子たち日系ボリヴィア人たちはインジオ社会に溶け込んでしまって、今では国籍も知らない原始人同様になってしまているという。コーチの両親はどうしているのだろう。
日本丸は、ますます狭くなった入江をゆっくり進んで流れに直角に設けた20メートルほどの木造の桟橋に横着けになった。船を下りて高さ一メートルほどの堤防に立つと、前方に銀色に光る石油タンクの列が椰子の林の中に見えた。その他には人家も税関らしい建物も見えない。桟橋に日光丸に積むらしい棉の梱包の山があるだけで人影はない。
今まで、どこにいたのか、背の高い三人の男たちがタラップを上って来た。彼らはラテン系ではなく、スポーツマンらしい体格で、端麗な表情なのはアングロサクソンとの混血のようだ。同じ黒人でも、享けた血液で彼らの社会的地位が決まるらしい。彼らは役人と棉花会社の職人だとコーチがいった。三人と入れ替りにコーチと私はタラップを降りた。コーチは珍しくカメラを肩にかけている。
桟橋と直角に白い砂ぼこりの立つ道路が白亜の建物が見える林の方へ伸びていた。太陽が真上にあって、すぐに背中が汗ばんだ。椰子林の間に見えた石油タンクの群れの周囲を、高い頑丈な有刺鉄線の垣がめぐって、道路に面した入口にしゃれた形の白い守衛所があった。その前の掲示板に英文で門の開閉時間と、その下に「無用の者の入るを禁ず」と活字体の文字がある。
タグ:チチ