ブラジル芸術界を代表する一人、大竹富江さんが12日昼12時半~午後1時ごろ、サンパウロ市のシリオ・リバネス病院で逝去した。享年101。抽象画をはじめ、23デ・マイオ大通りの日本移民80周年記念の大型立体オブジェ、イビラプエラ公園内にあるオスカー・ニーマイヤーがデザインした講堂の内装など多様な作品が広く愛され、ブラジル社会で最も知られた日本人だった。
自他共に認める壮健で、100歳を超えても現役でキャンパスに向かっていたが、肺炎が原因で2日にシリオ・リバネス病院に入院した。治療は順調におもわれ、10日には退院を予定していた。しかし、朝食後に突然、心臓発作を起こし、12日に集中治療室で息絶えた。
通夜は13日午前8時~午後2時(一般人も入場可)、大竹富江インスチチュート(Av. Faria Lima, 201, Pinheiros、最寄りファリア・リマ駅)で行われる。葬儀の詳細は12日午後3時の時点で未定。
1913年京都生まれ。36年、先に渡伯していた兄の益太郎さんを訪ねてブラジルへ渡り、そのまま住み着いた。ルイ、リカルド二人の息子を育て上げた後、39歳で絵の道に。誰にも師事せず抽象画で頭角を現し、当地を代表する芸術家となった。
2013年11月には建築家オスカー・ニーマイヤーと共に、連邦政府が送る最高位の文化勲章を受章。受章会場で本紙取材に応え、大竹さんは「自分が百歳になるなんて考えもしなかった。一番良かったのは、この年になっても仕事ができること。これからやってみたいこと? もうありません。いつ死んでも満足」と達観した様子で答えていた。
〃国の文化的財産〃ともいえる日本移民の死を、国中のメディアが報じ悼んでいる。