1960年代から70年代にかけて、アメリカではマーティン・ルーサー・キング牧師やマルコムX、ブラック・パンサー党の女闘士アンジェラ・デイヴィスなどを筆頭に黒人の人種平等を求めた運動が盛り上がり、それは「ブラック・パワー」とも呼ばれたが、ブラジルにも同様の運動を行なった象徴的女性がいる。それがレーリア・ゴンザレスだ。
1935年にミナス・ジェライス州に生まれ、リオで育ったレーリアは大学で歴史学と哲学を学ぶと、1960年代にはリオ・キリスト教大学やリオ州の高校で歴史を教えることとなる。
この当時、ブラジルは軍事政権の下にあったが、レーリアは哲学の授業で抵抗することや、社会や政治を批評的に見ることを教え、それはやがて授業を受けた生徒に抗議行動を起こさせる原動力となった。
この当時、アメリカでは黒人による公民権運動が盛んな頃でもあったが、やがてレーリアは「ブラック・パワー」とも「ブラック・イズ・ビューティフル」とも呼ばれたこうした運動をブラジルの黒人内でも起こそうと動き、黒人連合運動(MNJ)といった社会団体や黒人文化調査施設(IPCN)といった教育財団を結成する。また、アフリカ伝統音楽の楽団でバイア州サルバドールを拠点に活動するオロドゥンの結成にも動いている。大きなアフロヘアに額に巻いたバンダナはレーリアのトレードマークにもなった。
また、1985~89年にかけては黒人女性代表として、女性人権全国委員会(CNDM)の委員をつとめた。政界への進出も狙い、82年には労働者党(PT)で下院議員、86年に民主労働党(PDT)で州議員に立候補し、いずれも補欠となっている。
そんなレイラであったが、1994年7月10日、リオで心臓発作のために59歳の短い生涯を閉じた。だが、黒人、女性の地位向上に貢献したレーリアについてはその後もカーニバルのテーマや演劇の題材として扱われ、2010年にはバイア州で、社会に貢献した女性を対象にした「レーリア・ゴンザレス賞」も制定された。
リオのブラジル銀行文化センターでは24日から、レーリアに捧げた展示会が開催されている。そこではレーリアの人生がパネルとなって展示されているほか、彼女の貴重な写真や著物、彼女のドキュメンタリーのDVDなどを見ることができる。
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