私は今朝の敵編隊機の爆音が異様な不調和音だったことに何かが起こりそうだという予感を持ったことを思い出した。それは、今までソロモン海域の島々でもいくどか経験していた。敵機の爆音の異常さが、その日の誰かの運命に致命的な変化を与えるという、非科学的な信念が私の習性になっていた。その信念は今日も実証されている。
一片の雲もない空は濃い紺青のはずなのに深さのために黒々とした鉄傘に見えた。人影のない、荒れた山膚を、けだるい足を運びながら三角点に登る私に、おおいかぶさるように鉄傘が拡がっている。
私は深い洞窟の中に声もなく横たわっている患者たちの顔を思い浮かべた。あの半数はおそらくあと一ヶ月、命永らえることはないだろう。思考力を失い、脳軟化の老人のように呆けてしまった若者たち……。生きながら既に魂を失った人間たちの死への過程と、上野上等兵のような性急な死との間に、どのような神の恩寵の差があるのだろう。壮厳な死があるというなら、ソクラテスの如く毒杯を傾けるか、クレオパトラの美の終焉こそ、それにふさわしい。上野上等兵の不意の死の惨めさ、そしてあの患者たちの迎える豚のような汚穢熨の死。そのあまりにも不公平な生命の終末……。せめて、私は壮厳な死を迎えたい。私の前に、鮮かな を湛えたカリブ海が広がった。 そうだ。カリブの海に沈むがいい……。
三角山の稜線が眼の前に迫っていた。
もう少しだ
浮腫のために、けだるい脚を励ました。今までにないけだるさは、墜落機見たさにゴム林を歩きまわったためかも知れない。歩き馴れた一条の凹みは滝となって落ちるスコールのためにえぐられてできた雨水の径なのだ。雨に洗われた白い石塊がむき出し、凹みの両側から雑草が覆っている。私は手ごろな潅木を帯剣で伐り倒し、枝を落として杖を作った。杖に頼らなければ脚が進まないのだ。殆ど這うような格好で稜線にたどりついたとき、意外な海の構図が眼の下に広がっていた。三角山が水平線いっぱいに黒い影をおとして空と同じ黒さで海を覆っている。
南海の午後四時は、まだ真昼の熱い太陽がギラギラと照りつけているはずなのに、眼に入るすべての風景が、もう真夜中のそれなのだ。奇妙なのは、黒い海面の上に、東から打ち寄せるちりめん皺のような波頭が白い冠を乗せ、それが無数の白い魚群れに見えることだ。目まいだった。わたしはよろよろと前にかがみに倒れてゆくのを遥かに遠いところで感じていた。
われに戻ったとき、あたりの風景は明るくいくぶん温度を低めた海風が襟もとを撫ぜた。
遠く、近く、ドドーンという壕を掘る発破の音が空気をふるわせ、地軸をゆるがせた。その時、東海岸の絶壁の下に、吸い着くように浮いている黒い船影に気づいた。それは一艘でなく、幾艘かが、岩陰に吸われるように寄り添っているのだった。
☆
杖を頼りに、ようやく医務室に辿りついたとき、私は再び目まいを感じて三浦軍曹の前に蹲った。
「おい、しっかりしろっ!」
軍曹の声が遠くで聞こえた。
二人の同僚が左右から私を支えてくれた。両手を地面につき、頭を垂れていると、次第に眼の前が明るくなってきた。私はゆっくり立ち上がって、師団命令を申告した。続いて情報を申告しなければならなかったが、報告すべき事項が今日に限って多すぎた。しかし、省略するわけにはいかない。