ブラジル日本文化福祉協会(木多喜八郎会長)が創立60周年を迎え、13日夜に記念夕食会が行なわれた。60周年記念誌(ポ語)の発刊記念も兼ねた式典には、約450人が参加した。木多会長らは創立に関わった先人の苦労を称え、「我々には果たすべき責任がある。文化発信、日伯交流という責任を果たし、ブラジル社会の発展に貢献したい」との思いを語り、還暦の節目を祝った。
山本喜誉司初代会長らが1955年12月17日に創立総会を行い誕生した文協も、今年で60周年を迎えた。
昨年改修した多目的ホール(旧・体育館)には約90のメーザが並べられ、関係者を迎え入れた。援協・菊地義治会長、県連・本橋幹久会長や飯星ワルテル、ウィリアン・ウー両連邦下議らがお祝いに駆けつけた。
在聖総領事館の佐野浩明首席領事が、「日伯関係のためにより強力な活動を」とエールを送り、援協・菊地会長は「日系社会のリーダーとして活動してきた文協。勤勉でまじめな日本人の良さを生かし、コロニアだけでなくブラジルの発展にも寄与した」と、これまでの貢献を称えた。
野村アウレリオ市議による乾杯で会食に。舞台では、海藤三味太鼓グループによる民謡が披露され、節目に華を添えた。青年文協によるくじ引きでは画家・若林和男さんの作品などが用意され会場も盛り上がった。
式典を終えた木多会長は「四、五世にも日本に触れる機会をどんどん与えたい。ブラジルがより良い国になるような貢献ができたら」と望んだ。
原田清評議員会長も、自ら責任者となった60周年記念誌の完成を喜び、「山本喜誉司会長を始めとする創立前夜からの歴史をポ語で記すことが出来た。これまでの活動やブラジル社会に与えた影響なども明らかになった」と出来栄えに自信を見せた。「これほど大きな組織を生んだ一世の力はすごい。二世にはまね出来ない」と称賛し、「ブラジル社会とも密に連携しながら運営しないと」と展望した。
70年代から文協に関わる大原毅・元評議員会長は、これまでの中で「(02年設置の)改革準備委員会が印象的だった」とし、「最終報告書に今後の方針を定め、上原会長体制に移行した。それまで文協と関わりの薄かった二世ら、優秀な人材も加わるきっかけになったと思う」と懐かしんだ。
【大耳小耳関連コラム】
1936年生まれの大原毅・元評議員会長の出生登録地は、なんと「サンジョアキン街381」だそう。ご存知、文協の住所だ。当時、大原家はグアルーリョス在住だったが、大正小学校の父兄会時代からコロニアに関わってきた両親が、同地の出生登録を希望したという。そんな天国の先人達にとって、今の文協はどう映っているのだろうか。