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パナマを越えて=本間剛夫=51

 それと、自殺を罪悪とする彼女らの宗教が最後の最後まで生き伸びる手段を選ばせているのだろう。
 私は衛兵所の前に立っていつものように命令受領者であることを申告したあとで、前列の兵長に訊ねた。
「きのうの米兵の容体は、どうでありますか」
 兵長は筈えず、うしろの中尉をふり向いた。中尉はきのうのことで私を知っている筈だ。
「分らん」
 中尉は早く司令部に行け、というように顎をしゃくった。師団司令部の将校が捕虜の経過を知らない筈はない。蘇生させた私の功績に免じて一言教えてくれてもいいではないか。私がいなかったら彼女は死んでいたのだ。私には知る資格がある。鬱々として振り向いて、ゆっくり遂道を進んだ。脚がひどく重かった。更に栄養障書が進んでいることが感じられた。健康がガタガタと音を立てて崩れていきそうな気がした。
 まだ命令伝達の時間には早く、各部隊の命令受領者の姿はなかった。事務所の前を通りすぎ、右折して医務室に向かった。「医務室」と書かれた標札を背にして上等兵の衛兵が立哨している。あの衛兵なら知っているだろう。私が近寄っていくと衛兵は礼をした。
「きのうの捕虜患者は……?」
 そこまで云ったとき、彼は早口に口走った。
「わからんであります。ハイ、自分には分らんであります」とりつく島のない強い調子だ。
 緘口令が敷かれているのだ。私はきびすをかえして事務室の横の岩盤に背を凭らせ、そのまま脚を伸ばして座りこんだ。一昨夜から食事は海草の煮つけだけだった。今朝も飯皿蓋に一杯の粥だった。昨日、潜水艇で白米が届いたというが、いつ配給があるのだろう。湯気をあげたみそ汁と銀めし、のり、漬物など、一つ一つのもつ味が舌の上に蘇った。私はいつの間にか眠っていた。
 誰かに肩をゆさぶられて私は眼をさました。石川島耕班の曹長だった。
「命令が始まるよ」
 私は恐縮し、あわてて立ち上がって最後尾に加わった。今日の命令は何だろう。昨日の出来ごとで命令受領たちの好寄の眼が課長に向けられている。
 しかし、命令は私たちの期待を裏切って明朝八時から糧秣の配給を行うから、各隊は使役兵を出すように、というだけだった。東海岸の潜水艇、女捕虜、逃亡兵について一口も触れずに庶務課長は奥に入ってしまった。下士官たちは立ち去ろうともせず、暫く私語を交わしていた。農耕班に対して、特別の指示が発せられているらしい。
「敵はまず食料を狙うだろう。甘藷畑付近が最も可能性が高い。夜間の警戒を怠るな。発見したら射てと、いうことだよ」
「捜索は続けているのでありますか」
「いや、やめたらしい。こんなちっぽけな島だから、逃げおおせるものじゃない。いつかは出てくる。という見込みのようだ……。荒川の尻を打たなくちゃなあ」
 なるほど、曹長の云うように、敵は逃げられない。早晩、出てくるだろう。私にも憎しみがない、というのは真実ではない。お互いに共通の運命のもとで戦っているとはいっても、戦友を殺し私を狙った敵だ。しかし、捜索隊に捕らえられ、みじめに、非人道的に、なぶりものにされるのは堪らないのだ。開戦のために私がブラジルに帰れなくなり、郷里に無為の日を送っていたとき、村人たちは私を憎み罵倒した。